文化 未来へ紡(つむ)ぐ まちづくりの歴史(1)

◆三宿(さんしゅく)の移転 このまちの始まり
三宿の移転─
「横山町」「八日町」「八幡町」の由来となった三つのまちは
滝山城下から八王子城下、そして現在の地に至りました。
むかし、まちは「宿(しゅく)」と呼ばれており、
「横山宿」「八日市宿」「八幡宿」は、
戦国武将・北条氏照(ほうじょううじてる)が拠点とした滝山城の城下町でした。
その後、豊臣秀吉(とよとみひでよし)ら関東以西の勢力に備えるために
氏照が八王子城に居城を移した際、
三つの宿も八王子城下へ移転。
後の時代には、大久保長安(おおくぼながやす)により、
現在の中心市街地にその名が移りました。
絹織物や養蚕(ようさん)などで栄え、「桑都(そうと)」と称えられた八王子のまちは、
氏照の時代から始まる三宿の移転により形作られたのです。

◇三宿とまちの変遷
・1521年頃 滝山城築城
滝山城の城下町として、横山宿・八日市宿・八幡宿が誕生

・1582~7年頃 八王子城築城
三宿も八王子城下へ移転

・1593年頃 「三宿」が現在の位置に移転

・1917 市制施行

・2017 八王子市制100周年

◆〔八王子の地図で見るまちの成り立ち〕聞いてほしい!三宿移転の物語 北条氏照が築いた、まちの礎
◇滝山城と城下町~三宿はじまりの地
大永(たいえい)元年(1521年)、多摩地域などを治めていた大石定重(おおいしさだしげ)によって築城されたと言われる滝山城。多摩川と秋川が合流する加住丘陵に築かれたこの城は、後に城主となった北条氏照により拡張されました。その規模は東西おおよそ900mにおよび、丘陵を利用して本丸を築く平山城としては関東随一の規模を誇ります。
この地に築城された理由は、当時、物資の流通や人々の移動に重要な役割を担っていた多摩川のようすを監視できるため。城の東では主要な道路と多摩川がぶつかり、渡し船の乗り場である「平(たいら)の渡し」(現在の平町付近)がありました。この滝山城下に三宿のまちができました。

・〔知ってた?〕滝山城跡のサクラの秘密
都内でも有数のサクラの名所として知られる滝山城跡。斜面を覆うように咲き誇る5,000本ものサクラは、昭和46年に加住地区の住民と市が協働で植樹したものです。毎年春には「滝山城跡桜まつり」が開催されるなど、たくさんの人でにぎわいます。

◇甲州道中随一の宿場町「八王子十五宿」~歴史の糸を紡ぎ現代へ
北条氏の後、八王子のまちづくりを担ったのは大久保長安という人物でした。関東を治めた徳川家康の命によりその任に当たった長安は、八王子城下にあった三つの「宿」を現在の場所へ移しました。三宿と近隣にある十二の宿は、あわせて「八王子十五宿」と呼ばれるようになり、中でもにぎわったのが横山宿と八日市宿。横山宿では毎月「4のつく日」に、八日市宿では「8のつく日」に市(いち)が開かれ、さまざまな物資を売り買いする人々でにぎわいました。
三宿の移転によりまちが作られてきた八王子。江戸時代後期以降は、絹織物の集散地としてさらに発展しました。北条氏照から始まった現在も続く物語は、それぞれの時代の人々によって引き継がれてきたのです。

◇八王子城への移転~市名の由来となったものとは?
滝山城の城主として、戦いや外交、まちづくりなど多方面で活躍していた氏照。同じ頃、西では豊臣秀吉が大きな力を持っていました。そこで氏照は、甲斐国(かいのくに)(現在の山梨県)への経路となる道を押さえるため、市西部の深沢山(ふかさわやま)に城を築きました。これが八王子城です。
築城によって、滝山城から城下町が移転。城下町は家臣や職人が住む地区と、商人が住む地区の二つに分かれており、このうち商人の地区は「横山宿」「八日市宿」「八幡宿」という三つの宿でできていました。三宿の広さは滝山城下のものよりも広く、氏照の力が強くなっていたと推測されています。
城の名前「八王子」は、深沢山の神である八王子権現(ごんげん)にちなんでつけられました。築城の際、氏照はこの神を城の守り神として祀(まつ)り、これが現在の市の名前の由来になったと伝えられています。

・〔知ってた?〕氏照は文化人?
笛の名手であったことや戦国時代の城で唯一イタリア・ベネチアのレースガラス器が出土したことなどから氏照の文化的な側面が伺えます。
また、市内に残る9つの獅子舞の中には、氏照から獅子頭を拝領したと伝えられている「狭間の獅子舞」もあり、今も祭礼で舞が奉納されるなど、現代にその息吹を伝えています。

※詳細は本紙をご覧ください。

◆地名の歴史をたどる
(1)千人町
千人同心を率いた千人頭や同心組頭の屋敷地があったことが由来となっています。

(2)大船
沼地に船橋を作って通ったことに由来すると言われています。

(3)廿里(とどり)町
鎌倉から20里の距離にあったから付けられたとの説があります。

(4)館(たて)町
平安時代に鎌倉権五郎景正(かまくらごんごろうかげまさ)(景政)の館があったからとも、戦国時代の近藤出羽守(こんどうでわのかみ)の館があったからとも伝えられています。

(5)南大沢
明治初期、同じ地域にあった「二つの大沢村」を区別するために北大沢と南大沢とされ、南大沢だけが地名として残りました。

※地名の由来には諸説あります。