文化 みんなのふるさとこぼれ話(90)

■天明の大だ飢饉(だいききん)と藁餅(わらもち)
天明2(1782)年から7年にかけ、大凶作による「天明の大飢饉」が起きました。天明3年の浅間山の噴火も、冷害の原因の一つとなりました。
南平の清水兵左衛門家に伝わった『八王子中市相場附(なかいちそうばつけ)』は、享保13戊申(1728)年から毎年11月の八王子中市の米相場と銭相場を書き留めた、大変貴重な資料です。
これによると、飢饉が始まる前の天明元年には金1両で買える米の量は1石1升(1石は約150kg)だったのが、2年には8斗9升、3年には5斗5升、4年の春には3斗9升まで値上がりします。もちろん米だけでなく、麦、粟、稗、他の雑穀もすべて高値です。それでも天明4年冬には8斗2升になりましたが、5年は8斗、6年は5斗でした。
平(南平)村では、飢饉の始まった天明3年に早生稲(わせいね)が半毛(はんけ)(半分)しか実らず、晩稲(おくて)の収穫は皆無でした。「八王子にて野老(ところ)(ヤマノイモ科の植物)、おしやうろ(松露(しょうろ)=きのこ)の売り買いあり、藁餅(わらもち)を喰(く)い、木の葉を摘み、草を村々にて喰う」と書かれています。
藁餅というのは、幕府が食糧不足を補うために村々に作って食べるよう指示した食べ物です。作り方は、生藁を半日ほど水に漬けておき、灰汁(あく)を出し、よく砂を洗い落とし、穂は取り去って根元の方を細かく刻みます。それを蒸して、干して、煎(い)って、臼で挽いて細かい粉にします。藁の粉1升に対し米粉2合ほどを入れ、水でよくこねて餅のようにして、蒸すか茹でるかしたものに、塩か味噌、またはきな粉などをつけて食べろとあります。米粉の代わりに葛(くず)や蕨(わらび)の粉、または小麦粉を混ぜてもよし、餅にして蒸したものをさらに臼で搗(つ)けばなおよし、とあります。ずいぶんと手間がかかりますが、藁にもすがるような思いだったのでしょう。
米価は天明7年5月中旬には、金一両につき米1斗8升にまで高騰し、ついに江戸の町では米屋や金持ちの家を打ち壊す「米騒動」が勃発しました。関東郡代の伊奈忠尊(ただたか)が買い集めた米を江戸の町に放出したので、騒動はやみました。この年の八王子中市の相場は一両につき米7斗2升、翌8年には8斗2升と少しずつ回復していきました。
注:藁餅を実際に作って食べるのはおやめください

▽金一両で買える米の量とおよそのkg換算

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