- 発行日 :
- 自治体名 : 富山県高岡市
- 広報紙名 : たかおか市民と市政 2025年12月号No.242
■前田利長夫人 永(えい)(1574~1623)
永は織田信長の四女(三女・五女説もあり)として生まれました。母親は不明ですが、信長の側室正覚院(そくしつしょうかくいん)が永の生母である可能性も考えられます。瑞龍寺石廟(せきびょう)の向かって4番目が寺では「正覚院」と伝えています。正覚院は信長二男で永姫の兄・信雄(のぶかつ)(中将(ちゅうじょう))の乳母(うばといわれ、瑞龍寺蔵の信長書状の宛先は「中将おち(御乳)」とあります。また永・利長夫妻は信雄の娘2人を養子にしています。永は1581年12月、満7歳にして前田利長に嫁ぎました。翌年、信長から利長と共に京都に招かれました(日本最初期の新婚旅行とも思われます)。その道中、近江(おうみ)国のくに瀬田の唐橋(からはし)(大津市)付近で本能寺の変の急報を受けます。永は利長の配慮で前田家の旧領尾張荒子(名古屋市中川区)に避難しました。1585年、利長が守山城主となった際には、永も共に移ってきたと思われます。以降も1598年に金沢城、1605年に富山城、1609年の高岡城と利長に従いました。1614年5月、利長が死去すると剃髪(ていはつし)「玉泉院(ぎょくせんいん)」と号しました。しばらくして金沢城西の丸(永の死後、玉泉院丸と称されます)に移りました。利長との間には子がなく、利長妹の豪(ごう)の娘など縁者から養女7人を迎えています。永は立山信仰が厚く、1614年には芦峅寺姥堂(あしくらじうばどう)に芳春院(利長生母)と共に参詣しています。1617年には立山室堂(むろどう)を再興し、岩峅雄山(いわくらおやま)神社(立山町)に狛犬を寄進するなどしています。また同年には利長が信仰した菅原道真を祀る浄禅寺(のち玉泉寺)を高岡から金沢に移転し、その境内に現在の泉野菅原神社を建立しました。1623年2月、金沢城で死去。金沢の野田山墓所の最も高い位置に葬られています。
(仁ヶ竹主幹)
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