文化 ふるさと散歩道

■第372回 文化財編(49) 豊穣願う雨乞いと新春の祈り
日野川が現在の流路に定まるより遥か昔、鯖江台地の東には幾筋もの川が流れ、大湿原地帯が広がっていたそうです。その痕跡は舟津・深江・中河・舟枝・橋立・河端・水落・川島・河和田など地名に見え、「鯖江」も沢や江など川に由来する言葉から転じたとも考えられています。
さて、市域東壁の一端をなす三里山の頂を目指すと「雨降(あめふり)神社旧跡の碑」が建つ平場に至ります。かつてあった堂舎には自然現象を司る帝釈天(たいしゃくてん)が祀られましたが、明治44年(1911)に中野神社拝殿北側に移築され、山頂には礎石だけが遺りました。
近世以前、旱魃(かんばつ)の折には多くの人々が参籠(さんろう)して鰐口(わにくち)・太鼓を鳴らして「雨賜(た)もれ」と叫び、さらに3日と続くと北麓の原村・南麓の下新庄村が御神体を山下の仮殿に奉還して降雨を求める大祈願祭を行ったそうですが、今ではその祭礼も失われました。
奈良時代、泰澄大師が帝釈天の住む須弥山(しゅみせん)と喜見城(きけんじょう)に見立てて開いたという三里山。樋口次郎兼光が松山城を置いて以降、南北朝争乱や織田信長の兵火に遭いながらも、豊穣の祈りは絶えず捧げられてきました。
猛暑に見舞われた昨夏は日本各地で古の雨乞いが復活し、恵みの雨が土地を潤したとか。今年も天の差配が実りをもたらすものであることを初春の願いに込めます。
(文化課 藤田彩)

◇令和元年度指定の市指定文化財
雨降神社跡(中野町)