文化 ふるさと散歩道

■第365回 文化財編(42) 薫風誘う三床山、城跡を歩む
鎌倉時代、後嵯峨(ごさが)上皇亡きあと、皇統は子の後深草(ごふかくさ)上皇(持明院統(じみょういんとう))と亀山(かめやま)天皇(大覚寺統(だいかくじとう))兄弟に分裂し、約150年間の対立が始まりました。文保2年(1318)には、大覚寺統から後醍醐(ごだいご)天皇が即位し、足利尊氏(あしかがたかうじ)の協力を得て上皇や幕府の力を廃した「建武(けんむ)の新政(しんせい)」を樹立しました。
ところが、武士を無視して進む天皇中心の政治に尊氏らは反旗を翻(ひるがえ)し、天皇は新田義貞(にったよしさだ)を総大将に据えて吉野に南朝を立て、京都の北朝との間で約60年に及ぶ対立の時代が起こりました。
南北朝争乱が全国に広がると越前は激戦地となり、鯖江市域にも南北双方の城が築かれて睨(にら)み合いが続きました。佐々牟志神社(ささむしじんじゃ)の社伝は、石生谷町・和田町と越前町佐々生にまたがる三床山に北朝方の斯波(しば)(足利)高経(たかつね)が一時立て籠ったと伝えており、後に斯波軍は藤島の戦いで新田義貞を討ち取りました。
三床山の南北に延びる尾根を2筋の堀切で断ち、その間に20近くの小郭を構えていた「御床山城」。今では魅力的な6つの登山コースが整備され、山開き後には多くの人々が季節の草花や標高約280mからの眺望を楽しみます。薫風が登山の汗を拭うひと時、戦乱の時代に思いを馳せてみてはいかがでしょう。
(文化課 藤田彩)

◇平成26年度指定の市指定文化財(1)
三床山城跡(石生谷町・和田町ほか)
西番の磨崖仏1・2号(三尾野出作町)
西番の名号石(三尾野出作町)
木造阿弥陀如来立像(石田上町)