文化 山中湖村 村史だよりvol.18

■山中地区の石造物群(1)
今回から数回は、山中地区にある石造物群をまとめて紹介します。山中地区には、馬頭観音などの石造がまとまって置かれている場所が5か所あります。このうち、2か所(籠坂峠、出口稲荷)のものは既に紹介しました。5月号では、ヤブキ脇の馬頭観音石造物群について紹介します。場所は、右の地図の赤い●の場所になります。この場所は、村役場から富士吉田方面に向かって馬車道とぶつかる交差点の手前です。
ここに中央の社の他に全部で53体の石造物があります。うち、3体の石造物は、正体が不明です。1体は誰かの墓石の一部でしょう。残りの2体は、自然石で何も彫られていないように見えます。残りの50体はすべて馬頭観音の石造物です。大事に飼っていた馬の霊を弔うために墓を立てたのでしょう。ここにある馬頭観音の特徴を一言で言えば比較的新しい時代の馬頭観音石造物ということです。今まで見てきた馬頭観音石造物像は、たいてい馬頭観音菩薩として頭に馬の姿を付けた観音像として姿が彫られています。しかし、ここにあるものは、単純に「馬頭観世音」という文字が彫られていて、頭に馬の頭を載せた観音としての姿はありません。こういう文字塔の形式は、山中地区では幕末以降に急増します。また、供養した人物名に苗字が書かれています。苗字が多い順に坂本(10体)、高村(9体)、羽田(6体)、杉浦(椙浦を含む3体)、山口(2体)です。苗字がなくて名前だけのものは一つもありません。馬頭観音石造物の中で一番古いものは、天保14年(1843年)と嘉永5年(1852年)5月17日の2体です。一番新しいものは、令和のもので、これは馬のレリーフも彫られています。以上のことから次の2つのことが言えます。
(1)現在、旧道と言われる村役場近くを通る道は比較的新しいルートであること(江戸時代の初期や中期のものは一つもありません)
(2)山中地区の人々が飼っていた馬の霊を供養するに当たっての意識が変化していることが見える(姿として馬頭観音菩薩像→文字だけの馬頭観世音→生前の姿を思わせる馬のレリーフを彫る。死んだ愛馬の霊を観音菩薩として祀り守護を期待することから生前の姿を思い起こさせ追悼することが主眼となっているように見える。)
元々、ここの馬頭観音石造物群は、道路沿いにあったものを集め、お堂を中心にまとめたのでしょう。中央のお堂には、伝説上の人物小栗判官の愛馬鬼鹿毛の霊を馬頭観音として祀った小山町新柴の円通寺のお札が納められています。円通寺は、牛馬の守護で有名で、住職は昭和初期から30年代を中心に神奈川県西部から静岡市、郡内は大月まで回り馬屋祈祷、養蚕のための祈祷を行っていて、山中湖一帯も信仰圏でした。山中地区には、6月頃来ていたようです。また、平野・内野・忍草地区には、祈祷の報酬として大豆やソバが渡された関係から年の暮れにも訪れていました。更にこの3地区のソバはソバ種として品質がよく小山町新柴地区のソバ種になっていました。
以上のことから明治以降の愛馬の供養には小山町の円通寺との関わりが推測できます。
※詳しくは本紙をご覧ください。