文化 ふるさと発見![長谷公民館]

■宇津木西国三十三観音(うつぎさいごくさんじゅうさんかんのん)
長谷杉島区宇津木にある報恩寺(ほうおんじ)の境内には、西国三十三観音の石仏が覆(おお)い屋の下に整然と並んでいます。
平安時代、近畿地方を中心とした三十三か所の観音霊場(かんのんれいじょう)を巡る西国三十三所観音霊場巡礼(じゅんれい)が始まり、その後、地方の各地に小規模な霊場がつくられ、一カ所で全ての観音が巡礼できるよう、まとめて安置したのが西国三十三観音です。
宇津木の観音は仏像には珍しいといわれる線彫りが特徴で、その端正な姿と共に、近畿三十三の霊場に当たる寺の名前と御詠歌(ごえいか)がそれぞれの石仏に彫り込まれています。
地元に残る古い文書から、三十三体の観音を描いたのは池上秀畝(いけがみしゅうほ)の祖父池上休柳(きゅうりゅう)、御詠歌を書いたのは高遠藩の重臣(じゅうしん)で国文学者の岡村菊叟(おかむらきくそう)、それらを数年かけて石に刻んだのは美篶出身の石工渋谷藤兵衛(いしくしぶやとうべえ)であることがわかりました。
藤兵衛は、石仏師守屋貞治(もりやさだじ)の一番弟子とも言われる高遠石工の名工で、師の技術を継承して各地に多くの石仏や石造物を残しています。
この観音の開眼供養(かいげんくよう)が行われたのは江戸末期の弘化2(1845)年ですが、当時藤兵衛は62歳、まさに円熟期の数年間を全力で傾注(けいちゅう)したかのような見事な出来栄えです。
木々に囲まれた報恩寺の境内に三十三体の観音像がひっそりとたたずみ、拝観者に心の安らぎを与えてくれます。
参考『伊那谷長谷村の文化財第2集』