- 発行日 :
- 自治体名 : 長野県小海町
- 広報紙名 : 小海町公民館報 第562号
秩父事件が起こってから今年で141年が経過します。この事件は史料が多いこともあっていろいろな見方ができ、現在でも興味が尽きない事件です。今回、裁判記録を読み解く中で判明した情報を3回に分けてお知らせしたいと思います。
(2)菊池貫平からもらったお金について
明治17年11月9日早朝、鎮台兵と困民軍の戦いが始まると総理の菊池貫平は、馬流の本陣を後にして南の松山に逃げます。この時2人の男が貫平に追いつくのですが、その2人こそが本陣の槍の持ち主である新井寅吉と横田周作です。貫平は200円程の所持金から2人へ逃走資金を分け与えます。
作家である井上幸治氏の『秩父事件』(中公新書161.P174)や、北相木村史談会でまとめた『自由の雄叫び 自由民権運動と秩父事件』(ほおずき書籍.P137)等の文章によると貫平は2人に50円ずつ分け与えたとなっています。ところが訊問調書や判決文では次のようになっていました。
・寅吉、第2回目の訊問より「菊池貫平が丸銀25円ずつ分けてくれ、それに今、私が着ている鷹の羽の紋付を脱いでくれた。」
・周作の予審終結言渡書「11月9日、山中において会って、菊池貫平が強奪したる銀貨25円を受け取り未明に逃走せしは…」
と記載されています。
以上から50円ずつではなく、25円ずつもらったということが正しいようです。
誤解が生じたのはもしかすると次の文からかもしれません。
周作の第1回目の訊問より「菊池貫平は200円程の丸銀を所持して居り、自分と寅吉に50円くれたり。」これは50円ずつとも、あるいは2人で分けるように50円くれたとも受け取れます。
