イベント 館報 はくば 2025.11.17 Vol.531

◆歴史紀行「佐久」
9月のまだ暑さが残る中、晴天に恵まれ日本で海から一番遠い土地「佐久」へ歴史探索へ出かけました。山国信州にあり、善光寺平や松本安曇のような広大な土地が広がっています。浅間山と八ヶ岳に挟まれ、また中山道・善光寺道・甲州道が縦横に通り、古くから交通の要塞地となっていたことから史跡が多く、今回は真楽寺、新海三社神社、龍岡城跡、貞祥寺など佐久にある三つの三重塔や日本に二つだけの五稜郭も訪ねました。高速道で通り過ぎてしまいがちな佐久ですが、点在する寺社や史跡に歴史深さを感じた1日となりました。

◆第41回白馬席書大会を開催しました
10月25日(土曜日)に白馬村役場多目的ホールにて第41回白馬席書大会を開催しました。
小学1年生から中学3年生まで総勢34名が参加しました。いつもとは違う雰囲気の中、子どもたちは心を落ち着かせ、一字一字丁寧に筆を走らせ自分を表現していました。
推薦各賞の受賞者は以下の皆さんです。
※詳細は本紙をご覧ください。

◆はくば塾「毎日の食事で健康管理」
今年度初開催の栄養に関する講座です。「オーソモレキュラー栄養療法」ということで、あまり聞きなれない言葉ですが、分子栄養医学(分子整合医学・分子矯正医学)といわれ分子レベルで最適な量の栄養素を摂取して病気の予防・健康管理を行う療法です。自分や家族の健康について、病気になる前にできることを学び、栄養を意図的に使って心と身体を整えていきます。季節ごとの食材をとる大切さや体内のすべての代謝に関わる「酵素」について、食品添加物や体の電気信号など、なんとなくしか知らなかったこと、また全く知らなかったことなどもありましたが、講師の北澤先生からはわかり易く丁寧に色んな情報を交えて講義いただきました。病気になってから病院へいくのではなく、今、あるいは未来の自分の体の健康のために投資することの大切さを学びました。

◆シリーズ(1) 忘れられた名望家(文…木曽寿紀)
明治時代を迎えた日本各地に「地方名望家」と呼ばれる人々が地域ごとに現われます。彼らは旧家出身者などの出身で、基本的に自分達で経営していく近世の村社会を経験したうえ地域の近代化に臨んでいきました。近代インフラ整備また、政治的な部分でも草創期の「近代」を実際に根付かせ運用していくうえで大切な役割を果たしました。白馬にもこの地方名望家がいましたが、多くは一般に忘れ去られていきました。彼らの存在なしに地域の近代を語る事はできません。
その一人に新田出身の横澤本衛(1853~1915)という人がいます。江戸時代の村長である「庄屋」職を務めた家系で、代々酒造業或いは白馬の特産の麻取引を家業としていました。
本衛の場合、明治初年の経済的不安定の中で没落しかけた自家を自分の力で立て直しており、文字通り「叩き上げ」タイプの名望家でした。北城郵便局長を皮切りに、当時は「北安曇郡」が行政区分として存在していたので北安曇郡会議員を務め、郡役所竣工式では祝辞を読み上げています。
県会議員在職中には県内の道路整備が経済振興の要であると訴えかけ精力的に活動し、大町警察署の北城警察分署の誘致と建設では自費を投じて竣工しています。銀行業では北安銀行等複数の銀行経営にも関わっていました。
本衛の経歴で特筆されるのが安曇電気株式会社の設立です。本衛が設立発起人となり北安の名望家を説得して設立に漕ぎつけます。在任3年間の経営が安定するまでの間自費で株主配当を賄い、没落と引き換えに近代の灯を遺します。似た例が地域史で見られますが、没落した=失敗したという事で嘲笑する見方があります。研究の世界ではその営み、人それ自体に総体としてどう評価できるか時代性と共に検証しますが、没落はその評価の点数付けに入りません。やった事にどれだけ地域史上で意義があったのか。創作の世界では結末が大事ですが、現実の世界では人や物事が動いていた間が重視されます。本衛についてこんなお話しがあります。本衛が亡くなり、安曇電気から生前の功績に鑑み供養灯でなく供養電灯が供養のため献じられ後年まで墓石を煌々と照らしていたそうです。戦後いつの間にかなくなっていたそうですが、本人の遺徳が偲べるエピソードではないでしょうか。今年は本衛の没後110年です。偉い人がいばらないのと同じ様に、本当に功績がある人というのは煌々と照らされるより苔むして忘れられる位がちょうどいいのかもしれません。

白馬村公民館
館長 太田 洋一
【電話】0261-85-0726【FAX】0261-85-0723