くらし 未来に繋(つな)ぐ みのかもの70年 第14回

■国鉄越美南線の存続のために
国鉄越美線は、岐阜県と福井県を結ぶ鉄道として着工され、昭和9年に美濃太田駅(現・美濃加茂市)と北濃駅(現・郡上市)間の総延長72キロが「越美南線」として開通します。結果として全通は果たせませんでしたが、以来、地域住民の通勤通学や、奥美濃スキー場・木曽川ライン下りを訪れる観光客など多くの人々に利用され、沿線地域に重要な役割を果たしてきました。
しかし、昭和40年代には自家用車の普及や国道156号の整備などによって乗客は激減していき、昭和45年10月に快速「おくみの」が姿を消して各駅停車ばかりになるなど、次第にその勢いは下火となっていきました。
当時の国鉄は経営悪化による再建が取り沙汰されていた頃で、赤字解消策として越美南線は第二次廃止路線の一つに選定されることとなります。この動きに対応するため、昭和56年2月には「越美南線存続沿線市町村連絡会」が発足しました。6月に美濃加茂市役所で開かれた会議では、さまざまな対策が協議され、利用促進運動や署名運動などを推進していくことが決定します。
署名用紙は沿線の市町村から家々に配布されて協力が呼びかけられ、路線の存続を願う11万人を超える住民からの署名が集まったといいます。この署名は「国鉄越美南線存続に関する陳情書」とともに運輸省、国鉄本社などに直接提出されたようです。陳情書では、越美南線は沿線住民に欠かせない交通手段であり、地域に「安住感を与えるもの」として、地域における存在価値を強く訴えています。
しかしそういった取り組みや人々の思いもむなしく、昭和59年に運輸大臣が越美南線を特定地方交通線として承認したことにより、廃止が決定的になりました。その後、昭和61年12月、結果として越美南線は第3セクターによる「長良川鉄道」と名前を変えて運行が引き継がれることとなります。

◆[Pick Up]高山本線「完全電化」事業
昭和40年代以降の高山本線では、その完全電化を進める計画がありました。スピードアップと輸送力の強化を期待したもので、岐阜-高山間の所要時間は約30分も短縮される見込みでした。昭和60年の完成を目指し、昭和55年には高山市で起工式が行われます。
しかし当時の国鉄の経営状況は悪く、その状況下で約400億とされる一大事業に踏み切った内情は不明です。結果、この構想は頓挫しますが、現在も敷設された電柱の一部が沿線に残されています。

問合せ:みのかも文化の森/美濃加茂市民ミュージアム
【電話】28-1110