- 発行日 :
- 自治体名 : 岐阜県各務原市
- 広報紙名 : 広報各務原 令和7年8月1日号
戦後80年の今年、歴史民俗資料館では「各務原市と太平洋戦争」をテーマにした特別企画展を開催します。そこで今回は、企画展に先立ち、市と太平洋戦争との関わりなどを紹介。ご家族一緒に、戦争や空襲について学び、市の歴史を未来へ伝えていきましょう。
■まちの発展を生んだ飛行場
1917年(大正6年)、現在の市域の中央部に「各務ヶ原飛行場」が作られました。その場所は、各務原台地上の平地で、排水が良く、周囲に何もない広々とした草原が、飛行場に適していたからです。
飛行場ができると、航空機を製造・修理する工場などが作られ、航空機産業が盛んになりました。雄飛ヶ丘などの地区には多くの社宅が建てられ、物や人を運ぶために、高山本線(現・JR高山本線)や各務原鉄道(現・名古屋鉄道各務原線)の線路が敷かれました。さらに、商店や娯楽施設も増え、各務原は「空都」と呼ばれるほど発展していきました。
■戦時中の各務原
1939年(昭和14年)に、第二次世界大戦が始まりました。この戦争における主要な戦いのうちの1つが「太平洋戦争」です。1941年(昭和16年)から、太平洋地域で、日本と連合国(アメリカやイギリスなど)の間で行われました。
この戦争が始まると、航空技術者が必要となります。各務原に教育飛行隊や岐阜陸軍航空整備学校などが置かれ、技術者を育てる場所となりました。戦争中、各務原は、航空機の研究と生産、技術者教育の拠点を担っていました。
日本の航空機産業と技術者教育に欠かせない各務原は、アメリカ軍の空襲の目標とされ、計13回の空襲がありました。その中でも規模が大きかったのは、1945年6月22日と26日です。両日とも、川崎航空機、三菱重工、航空廠(しょう)、飛行場、技能者養成所などが攻撃目標とされ、計163機のBー29の爆撃により、227人以上が亡くなり、航空機関連施設の75%以上が失われました。
■戦後の復興
終戦後、各務ヶ原飛行場は、アメリカ軍に接収され、「キャンプGIFU」と呼ばれました。また、GHQにより、航空機生産は禁止されました。
その後、朝鮮戦争や飛行場の返還、航空自衛隊岐阜基地の開設などがきっかけとなり、各務原の航空機産業は復活し、全国有数の航空宇宙産業都市へと発展しました。
《歴史を未来へ語り継ぐ 歴史民俗資料館 特別企画展》
各務原は、大正時代に飛行場が開設されたことがきっかけとなり、航空機産業を中心に発展しました。しかし、飛行場があったからこそ、空襲で狙われ、多くの人が亡くなりました。
この歴史を忘れることなく、未来へ伝えるために、歴史民俗資料館では、特別企画展「戦後80年 各務原市と太平洋戦争~風化させない戦争の歴史~」を開催します。戦前、戦中、戦後の、各務原と飛行場に関する資料を展示するほか、各務原空襲の実態を紹介する映像の上映、さまざまなミニ講座を実施します。
戦後80年の節目の年に、改めて、戦争や空襲について学びませんか。企画展は無料で、どの企画も事前申込は不要です。ぜひ、ご家族そろってお越しください。
◇特別企画展
期間:8月9日~17日 午前9時30分~午後5時
場所:産業文化センター1階あすかホール(那加桜町2)
◇特別上映
戦時中、空襲の成果を確認するために、アメリカ軍がBー29から撮影した動画を上映します。
日時:8月10日、8月17日 いずれも日曜日 午前9時30分~午後5時
場所:特別企画展内セミナーブース
備考:映像提供…豊の国宇佐市塾
◇展示解説
会期中毎日、職員が展示解説を行います。お気軽にご参加ください。
時間:午後3時~(30分程度)
場所:特別企画展会場入口
◇ミニ講座
毎日1時間程度、各務原や飛行場、戦争、空襲について、さまざまな角度から考える、ミニ講座を実施します。
11日と16日は、日本に落とされた爆弾(不発弾)を主人公にした物語「よわむしばくだん」の読み聞かせ動画を上映。学芸員が市の歴史と結びつけて解説します。お子さんと一緒にご来場ください。
日時:下表のとおり
場所:特別企画展内セミナーブース
詳細:歴史民俗資料館
【電話】058-383-1361