文化 貴重な遺品を守るために~永久の平和を願って~

はなのき会館の北側に建つ平和祈念館には、「西南の役(西南戦争)」から「第二次世界大戦」までの遺品資料約850点が保管・展示されています。これは、戦没者224名、満州開拓関係物故者92名と800余名におよぶ戦争体験者による村の戦争の記録です。この貴重な記録と歴史的事実を風化させず守り続けるため、令和8年3月頃に、はなのき会館別館の一室へ展示品を移転します。

◆現在の東白川村平和祈念館について
◇建立の経緯
西南の役や第二次世界大戦など東白川村でも戦争があった歴史的事実が時代と共に風化してしまうことを憂いた当時の慰霊塔奉賛会と帰還元軍人たちが平成5年に1,000万の寄附(浄財)を元に役場の書類保管庫だった石倉を現在の位置に移設・整備しました。

◇展示品の公開
一年余りの歳月をかけて、遺影や遺品資料など約850点を収集し、平成6年8月15日に苦難の証として公開しました。

◇展示品
冊子:48点 武器等:13点 日用品:31点 衣類等:72点 写真:22点 手帳等:30点 旗等:33点 文書:73点 勲章等:77点 その他:32点
1877年の西南の役(西南戦争)で使用した脚絆(きゃはん)や、1937年の支那事変(日中戦争)に出征した際の10日間の手記、1941年の真珠湾攻撃に参戦した海軍の鉢巻・眼鏡・記録写真など、戦時中の記録や衣服などの遺品、200名の遺影が展示してあります。
また、出征時に寄書きをした日章旗も展示されています。その中には2017年にサイパンの地から70年の時を経て、当時の米兵の手で直接遺族に返された物もあります。

◆73年の時を経て…帰ってきた兄の魂
展示されている遺品の中で、全国ニュースとなったものがあります。それは、太平洋戦争で戦死した宮代出身、安江定男さんの日章旗です。これは、元米海兵隊員のマービン・ストロンボさん(当時92歳)が保管していたもので、平成29年8月15日、日章旗の返還活動を支援する団体の協力を得て、定男さんの弟である安江辰也さんに手渡しで返還されました。
マービンさんは日章旗を入手した経緯について次のように語っています。『サイパンに上陸した際、仰向きに倒れていた日本兵を見つけました。その兵士の胸元に折り畳まれて入っていた日章旗を手にし、持ち帰ったのです。手にすることに一瞬ためらいがありましたが、これは大切なものだと感じたため、紛失する前に持ち帰りました。そして戦争が終わったら必ず返すと約束しました。』
日章旗を受け取った安江辰也さんは、その旗に顔をうずめながら「兄の肌の匂いがするようだ」と話しました。この日章旗には180人以上の名が記されており、そのうち40人以上が安江姓であったこと、さらに「安江定男」という名前が大きく書かれていたことから、遺族の特定が可能となったそうです。
終戦当時、定男さんの戦死の報告はあったものの、詳細な情報や遺品は遺族のもとに届いていませんでした。しかし、それから73年の時を経て、唯一の遺品が東白川村に住む家族のもとへ帰ってきました。
米海兵隊太平洋基地の記事では、この出来事について次のように締めくくられています。「定男さんが招集された際、家族は戦争から無事に帰ってくることを願い、この日章旗を彼に渡しました。この旗が遺族のもとに戻ったことは、単に遺品が返還された以上の意味があります。それは、定男さんの魂が家族のもとへ帰ってきたことを象徴しているのです。」

◆展示品移転の内容と進捗
現在の平和祈念館は築70年以上経過しており、耐震化されていないため、貴重な資料や記録を守ることを目的に、展示品をはなのき会館別館1階の「談話室」を改修し展示します。
令和7年11月~令和8年3月の期間で談話室内に展示スペースを整備し、令和8年3月中に展示を開始予定です。日章旗や遺影、当時の軍服を着用したマネキンなどを展示して、展示できない遺品資料は現在の石倉に保管します。また、展示品は不定期で更新されます。

※詳しくは本紙をご覧ください。