文化 森町の歴史~遠州の小京都ばなし~ 教育委員会社会教育課

■第十六話 日本近代建築板金の泰斗・山田信介(その七)
(広報もりまち令和7年11月号「森町の歴史・第15話」からのつづき)
徳川家康の御用鋳物師(いもじ)を務めた山田七郎左衛門の末裔(まつえい)、山田信介は、東京科学大学(旧東京工業大学)の前身である東京職工学校を第一期生として卒業し、ドイツに留学して板金技術を学び、明治23年(1890)に帰国後、日本の名立たる近代建築に次々と携わりました。
第15話において、信介が屋根等の板金を手掛けた主な建物を列挙しましたが、その中で現存している建物は、次の通りです。
司法省(法務省旧本館、重要文化財・以下、重文)、帝国京都博物館(京都国立博物館旧館、重文)、日本銀行本店本館(重文)・大阪支店旧館・小樽支店(旧小樽支店金融資料館)、東宮御所(迎賓館赤坂離宮、国宝)、旧兵庫県庁舎(兵庫県公館、国登録有形文化財)、上野図書館(旧帝国図書館、現国立国会図書館国際子ども図書館)、上野奉献美術館(表慶館、重文)。
日本銀行本店・大阪支店・小樽支店の設計を行ったのは、東京駅(重文)の設計者として知られる「日本近代建築の父」辰野金吾(たつのきんご)です。辰野は、大阪中之島のシンボルである大阪市中央公会堂(重文)と大阪府立中之島図書館(重文)の建設にも関わり、これらの板金も信介が手掛けました。信介は、明治から大正時代にかけて日本の第一線で活躍した建築家、辰野や妻木頼黄(つまきよりなか)、片山東熊(かたやまとうくま)、山口半六らの仕事に数多く携わり、言うなれば、彼らの仕事は信介なくしては成り立たず、当時の建築板金において信介の右に出るものはいませんでした。
信介が板金を手掛けた建物を巡れば、日本近代建築の歴史を辿る旅となるでしょう。つづく。
参考:松本茂「四天王寺頌徳鐘と山田信介」『遠江』第42号(2019)

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