- 発行日 :
- 自治体名 : 三重県熊野市
- 広報紙名 : 広報くまの 令和7年12月号 No.243
■死線を超えたあの日
井上翔太(いのうえしょうた)(木本町)
240人目のペンリレー
私は大阪で生まれて、今年で29歳になります。父の仕事の都合で3歳頃に木本町に来ました。
幼い頃から体を動かして遊ぶのが好きで、小学5年生の頃に野球を始めました。中学卒業時には県外から推薦頂けるくらい成長を果たしましたが、地元の仲間と野球がしたくて木本高校に進学しました。入学後、野球部に入部しましたが一年も経たないうちに退部してしまいました。
高校を卒業し、和歌山市内にある自動車整備会社に就職し、充実した生活を過ごしていました。20歳の11月初旬その日はとても忙しく、整備場所を確保できないため人通りの少ない敷地で大型バスをジャッキアップしていました。整備作業を行っていると、ジャッキが折れてうつ伏せのまま私の体はバスと地面に挟まれ、その衝撃で肋骨3本と胸骨が折れて肺にも穴が開きました。声を出して助けを求めましたが、人通りも少ない為気づいてくれる人も居なく、段々と意識も薄れ気を失いそうになりました。死を覚悟した瞬間人生の思い出が脳裏に流れてきました。今思い返すと走馬灯だと思います。走馬灯は死に直面すると歩んできた人生を通して、死を回避する方法を探すらしいです。走馬灯が脳裏によぎってからまだ死ぬわけにはいかないと思い、もう一度声を上げて助けを求めることにしました。呼吸ができているのかも分からず、直感でこの一声でダメだったら死ぬと感じながら必死に声を上げました。すると当時70歳くらいの岡田さんという方が気づいてくれてました。その岡田さんは、耳が遠く普段は顔を近づけないと声が届きませんでした。今思うと奇跡に近いと思います。岡田さんが色々な人に助けを求めてくれたお陰で無事救出されました。その後40日程で仕事に復帰できましたが、この事故によりバスが嫌いになってしまいました。
次は有馬町の柴田和輝さんです。
