文化 ふるさと再発見 Re:discovery Omihachiman 第78回

■特別号 近江八幡市に導かれた ヴォーリズ
皆さんはウイリアム・メレル・ヴォーリズ(和名・一柳(ひとつやなぎ)米来留(めれる))氏の名前を聞いたことがありますか。「近江八幡は世界の中心」と考え、日本へ帰化し、近江八幡を愛したヴォーリズ氏は、令和7年に来幡(来日)120年となります。今回は「ヴォーリズ来日120年記念事業バンザイなこっちゃ!協議会」(森島篤雄会長)の事務局から、ヴォーリズ記念館館長・藪(やぶ)秀実氏にヴォーリズと近江八幡の関係、来日120周年に関して寄稿していただきました。

「ホームシック。寒い。頭痛がする。寂しい。しかし、もう来てしまったのだ。」
明治38(1905)年2月2日に蒲生郡八幡町の駅に降り立った青年は、日記に悲痛な思いを綴った。だが、翌日から彼は同じ信仰者の県立商業学校(現・八幡商業高校)教師、宮本文次郎氏との出会いもあり精力的に活動を開始する。それから120年の時が流れ、彼が召天してから61年が過ぎた。
ヴォーリズの足跡が多岐に渡ることは近江八幡で暮らす市民の方々は少なからず知っていることだろう。近年は外部の方々がヴォーリズ建築をはじめ、ヴォーリズに魅せられて近江八幡を訪れることが多い。ヴォーリズは自らがいつも署名の後に「近江八幡は世界の中心」の意味をもつ「○」を描いて終生、この街を離れることはなかった。ヴォーリズは確かに近江八幡と日本を愛した。だが、それは近江八幡の人々がヴォーリズをいつしか受入れ、愛するようになったことをも意味する。ヴォーリズにとっての幸いは「三方よし」が根付く近江八幡に導かれたことにあったと私は思っている。
「バンザイなこっちゃ!協議会」が主催する講演会は、基調講演『いま、なぜヴォーリズさんなの?』を皮切りに、6回企画され、すでに3回の講演会をそれぞれ盛況のうちに終えることができた。滋賀県、近江八幡市、内外の多くの団体、個人の方々のご協力の賜(たまもの)であり深く感謝申し上げる。今後も下記のとおり予定は続き、その合間の10月23~29日には、ヴォーリズの生誕地であり、近江八幡市との兄弟都市であるカンザス州レブンワースを訪問する「ヴォーリズの足跡を訪ねる北米旅考」も催行される。盛りだくさんの内容であるが、「バンザイなこっちゃ!協議会」は一連の事業を通じて近江八幡の名誉市民第一号、一柳米来留の志「愛と平和に満ちた共に生きる社会」を後世に伝えてゆきたいと願っている。

※『「近江八幡は世界の中心」の意味をもつ「○」』の「○」はマークのため、置き換えています。正式なマークは本紙をご覧ください。

ウィリアム・メレル・ヴォーリズ
明治13~昭和39(1880~1964)年
提供:(公財)近江兄弟社
※写真は本紙をご覧ください

今後の各種イベントの詳細は本紙掲載の二次元コードから検索ください。
7月19日(土) ヴォーリズさんのびっくりポン!
9月20日(土) ヴォーリズさん、満喜子さんをドラマに!
12月7日(日) 愛と平和に満ちた共に生きる社会をめざして