- 発行日 :
- 自治体名 : 滋賀県栗東市
- 広報紙名 : 広報りっとう 2025年6月号
■狐塚遺跡平安時代の建物跡を発見
突然ですが、皆さん、家の玄関は、「東西南北」のどちらを向いていますか?
おそらく、栗東市内では方位磁石で測ったように真北とか、真南に入り口が向いている家は、手原駅周辺を除いて少ないと思われます。おおよそ正方位から30度傾いた方向に入り口があるのではないでしょうか。
なぜこのようなことが分かるか種明かしをすると、「条里(じょうり)」というものが関係しています。
奈良時代以降に「条里制」と呼ばれる一町四方(約109m)を基本的な区画とする地割が形成されました。
栗東市内でよく見られる南北軸に対して東に約30度傾いた地割はこの条里地割にもとづくものです。この地割は栗東市北部の綣・笠川・苅原付近を通る中山道(旧東山道)が基準になっていると言われています。
今回発掘された狐塚遺跡の調査では、この地割に沿った建物跡が見つかりました。写真中央に映るまっすぐに並んでいる6つの大きな穴は、掘立柱建物の柱跡です。大きな穴一つ一つに柱が建っていました。柱を埋めるために掘られた穴の大きさは約80cm、柱本体の直径は約20cm、柱と柱の間は約2m間隔です。東西方向を向いており、真西から約30度北に傾いています。近隣の調査成果から十世紀頃の建物であると考えられます。
発掘調査成果から平安時代の建物が条里方向を向いていることがわかったということを前提に冒頭の話に戻ります。
栗東市内の現代の地図を開いてみると、多くの道と住宅が、手原駅周辺を除いて、真北から見て東に30度傾いた方向、もしくは真西から北に30度傾いた方向に伸びていることが分かります。これは、平安時代に作られた地割を大きく変更することなく、田畑として、また開発によって宅地として利用してきたからです。一方で、手原駅周辺は奈良時代から倉庫群などが設置され、平安時代よりも以前に開発されていたことから、東西南北を向いた地割が残っています。一見、奈良時代や平安時代の風景などあんまり残ってない気がする現代の栗東市も、地図を広げて、道一つ、地割一つを辿ることで歴史を感じることができます。
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