文化 甲賀の文化財

◆豊臣秀吉と土山の城
甲賀市には、180カ所を超える城跡が確認されており、地域の豊かな歴史を物語っています。その中でも、土山町北土山に位置する土山城跡は、豊臣秀吉との関わりが指摘されています。
土山城の城主は土山氏とされ、『甲賀郡志』には、文明年間(1469~1487年)に土山鹿之助(かしのすけ)が築城し、天正年間(1573~1592年)には土山盛綱の代に滝川一益(たきがわかずます)によって廃城にされたという伝承が記されています。
城の構造は、土塁で囲まれた方形の曲輪(くるわ)(主郭)を中心に、周囲を横堀が巡っています。また、虎口(こぐち)は角馬出状(かくうまだしじょう)の構造を持っており、戦国期の甲賀において、ここまで明確な馬出空間を備えた城は他に存在しません。
これまでの調査・研究から、土山城は土山氏が築いた後、外部勢力による改修が加えられ、他の甲賀の城よりも発展した機能を持つ城になったと考えられています。その外部勢力として、後に天下統一を果たした豊臣秀吉が推測されています。
天正12年(1584年)の小牧・長久手の戦いの際、豊臣秀吉が土山に着陣した記録があり、その際に土山城が改修・利用された可能性が示唆されています。その後、秀吉は家臣の中村一氏(かずうじ)に水口岡山城を築かせており、このことからも、鈴鹿峠を控える甲賀郡が秀吉にとって戦略的に重要な地域であったことがうかがえます。
『甲賀市城跡探訪マップ』では、こうした市内の代表的な城跡にまつわる歴史の物語を紹介しています。城跡が語る歴史に思いを馳せながら、地域の魅力に触れていただけましたら幸いです。なお、『甲賀市城跡探訪マップ』は歴史文化財課や歴史民俗資料館などで配布しています。

問合せ:歴史文化財課 埋蔵文化財係
【電話】69-2251【FAX】69-2293