- 発行日 :
- 自治体名 : 京都府宇治田原町
- 広報紙名 : 町民の窓 令和7年9月号 No.690
戦争が終わり
80年目を迎えたこの夏
今、改めて平和について考えたい
心に刻むべき悲惨な過去を…
未来の平和を願って
■Hiroshima 小中学生9人 平和の祈りヒロシマへ
7月22・23日の広島平和体験学習に、小中学生9人が参加しました。平和記念資料館や原爆の子の像・原爆ドームの見学などの学習を通じて命や平和の尊さを学びました。
住民の平和への祈りが込められた平和の鐘をみんなで鳴らしました。(体験記は一部抜粋して記載。敬称略)
※体験記については本紙をご覧ください。
○広島平和記念資料館
広島原爆の惨状を後世に伝える施設。国指定の重要文化財である「本館」と、東側の「東館」からなる。本館では広島原爆の人的・物的被害に関する展示が行われている。原爆投下直後の壊滅した広島市街地の縮小模型、熱線で全身の皮膚を焼けただれさせながら炎の中をさまよう被爆者の等身大ジオラマ、被爆死した動員学徒の制服や黒焦げの弁当箱などの遺品が有名。遺品の多くは、肉親の人たちがその安否を気遣って焦土の中を探し求め見つけた。一つひとつに、苦しみ悲しみが込められている。東館には広島市の歴史や原爆投下の歴史的背景を展示。収蔵品は約2万1000点。
○国立広島原爆死没者追悼平和祈念館
原子爆弾死没者の尊い犠牲を銘記し追悼の意を表し、永遠の平和を祈念するための施設。原爆死没者慰霊碑や広島平和記念資料館に隣接。原子爆弾投下により死亡した人々の遺影、被爆者による体験記や証言映像、郷土や原爆、平和に関連する書籍を収蔵し、利用者に公開している。ご遺族からの申し出により、原爆死没者の遺影と名前を登録し、永遠に遺している。登録者は1万人を超えている。多くの原爆死没者の遺影や名前を通して、原爆が、年齢や性別、職業などに関係なく、無差別に多くの命を奪った事実を伝えている。
「原爆の悲惨さを伝えていきたい平和の輪を広げたい」
■Nagasaki 想いを込めた平和の文字 長崎の桜馬場中へ
毎年、維孝館中学校の生徒を本町平和友好特使として任命し、長崎市に派遣。青少年ピースフォーラムに参加しています。
また、長崎市立桜馬場中学校の平和祈念集会にも参加し、平和学習を通した交流を続けています。今年も、桜馬場中学校に平和の祈りを込めたメッセージを贈ろうと、維孝館中学校の生徒会本部に折り鶴の作成を呼びかけました。特使は、出来上がった平和の文字を、平和を誓うメッセージを添えて、桜馬場中学校に贈りました。
(写真:維中の生徒が桜馬場中の生徒に平和の文字を託す)
※写真については本紙をご覧ください。
■祈り込めた折り鶴
昭和30年秋、佐々木禎子さんという一人の少女が亡くなりました。禎子さんは2歳のときに広島で被爆。運動の得意な元気な少女に成長しましたが、被爆から10年後に突然白血病であると診断され入院しました。千羽鶴がお見舞いに贈られたこときっかけに、「生きたい」という願いを込めて折り鶴を折り始めますが、8か月の入院生活の末、家族が見守る中、亡くなりました。
折り鶴は、この事実が物語として広く伝えられたことから、今では平和のシンボルとなっています。
■戦後80年 特集つなぐ平和のバトン
寄せ書き日章旗の特別展示
平和推進旬間に合わせて、寄せ書き日章旗を総合文化センターに展示しました。
戦後80年の時を経て返還された寄せ書き日章旗。
この日章旗は、第二次世界対戦末期、出征されフィリピン・レイテ島で戦死された本町出身の堀口秋夫さん(当時21歳)の遺留品で、昨年、アメリカ・オレゴン州公認の非営利団体「OBONソサエティ」から京都府遺族会を通じて、姪の堀口あや子さんのもとに返還されました。今年、戦後80年を迎え、平和の尊さについて改めて見つめ直すきっかけとして、日章旗を借用し展示しました。
日章旗には、ご家族・親戚など、69名の名前が心を込めて記されており、当時を懸命に生きた人々の想いが偲ばれます。
私たちが享受している「平和な日常」は、当たり前ではなく、先人の方々の絶え間ない努力のもとに築かれたかけがえのないものです。私たち一人ひとりが世界の平和について考え、自ら行動していきましょう。
