文化 港区今昔物語

■終戦直後の大阪港は「ダークシー」だった
太平洋戦争の空襲などで日本全国33港湾のうち、大阪港は最大の被害を受けたと記録されています。実際に臨港地帯の建物は9割が被災し、沈船は3162隻にも及びました。それらの残骸が船の侵入を拒み、港湾機能は文字通り壊滅状態で、一時期は大阪港廃港説を唱える人もいたといいます。また日本軍は全国各地に5万
5000個以上の機雷を設置しましたが、大阪港にも残留機雷の問題があり、「ダークシー」と呼ばれて最初の進駐軍も和歌浦に上陸したほどでした。この機雷の撤去には結局、終戦から6年もの歳月がかかり、昭和26年(1952)になって、ようやく大阪港は安全水域の港湾となりました。

監修:陸奥賢さん 観光家/コモンズ・デザイナー/社会実験者