- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府大阪市住吉区
- 広報紙名 : 広報すみよし 令和8年1月号
■消えた依網池(よさみいけ)
『日本書紀』崇神天皇(すじんてんのう)六十二年の条に「冬十月(ふゆかむなづき)、依網池(よさみのいけ)を造る」、また、推古天皇十五年の条にも「依網池(よさみのいけ)を造る。亦国毎(またくにごと)に屯倉(みやけ)を置く」と記されており、5世紀前半から7世紀初頭にかけてヤマト王権が広大な依網池(よさみのいけ)を造り、農地を開拓して屯倉(みやけ)を設置したと推察されます。面積は40~50ヘクタールで住吉区の我孫子、苅田、庭井から堺市の常磐町(ときわちょう)、今池まで拡がって摂津・河内・和泉の三国に濯漑(かんがい)する大貯水池でした。その管理に当たった依羅(よさみ)氏は、網を用いて魚や鳥を獲る、当時の先進技術を持った一族で、その祖神(おやがみ)をお祀りしたのが式内社(しきないしゃ)である大依羅(おおよさみ)神社です。また、『日本書紀』には神功皇后(じんぐうこうごう)が新羅(しらぎ)遠征の際、戦勝と航海の無事を祈って「依羅吾彦男垂見」(よさみのあびこをたるみ)に住吉三神(すみよしさんしん)を祀らせたとの記述もあります。
依網池(よさみいけ)は、1704年の大和川付け替えにより南側3分の2が川底や河川敷・田畑になり、北側の3分の1が池として残りましたが徐々に狭(せば)まり、最後まで残っていた庭井の池も昭和40年代に無くなって依網池(よさみいけ)は完全に姿を消しました。
[執筆]NPO法人すみよし歴史案内人の会 ますの隆平(りゅうへい)
