- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府堺市
- 広報紙名 : 広報さかい 2025年12月号
戦争の記憶を風化させることなく、平和への願いを次世代へとつなぐため、戦争を体験された方の体験談を連載します。
■第3回 和田武子さん
現在93歳。堺大空襲当時は上石津(現在の石津町)に住んでおり、自宅付近にて空襲の被害に遭う。
恐怖と混乱の中で、家族や近所の人々と助け合いながら生き延びた経験を語る。府立堺高等女学校出身の与謝野晶子の後輩として、与謝野晶子倶楽部で毎年展覧会に日本画を出展している。
私は、当時12歳の学生で、上石津で暮らしていました。7月10日、空襲警報が鳴り響き、母と共に自宅である寺の中にある防空壕(ごう)に避難しましたが、ここは危ないからと、外に出て本堂前の防空壕に入りました。小栗街道(現在の熊野古道)を湊方面から逃げてくる人たちの様子から、ここも危ないと夏布団を母と二人でしし舞のようにかぶり、大勢の人が泣き叫ぶ声の中、石津川の橋の下に逃げました。逃げながら、和歌山方面を見ると、花火大会のフィナーレのような真っ赤な光景でした。朝方、自宅に戻ると、20代続いた本堂が焼け落ちていました。その前でバケツを持ったままぼうぜんと立っていた父の姿が忘れられません。学校の様子を見に歩いて行くと、御陵前から綾ノ町まで焼け野原、学校は体育館を除き校舎は全焼、たどり着いた時には靴の底は熱さで溶けていました。
テレビでウクライナの戦況を見ると、戦時中を思い出し、改めて戦争は二度としてはいけないことだと伝えたいです。
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※QRコードは、広報紙P.12をご覧ください。
