- 発行日 :
- 自治体名 : 大阪府池田市
- 広報紙名 : 広報いけだ 2025年12月号
■歴史民俗資料館企画展
「ちょっと昔のくらしの道具」
歴史民俗資料館では、大正から平成初期にかけての暮らしの道具を展示しています。今回は本展の展示品の中から、少し毛色の違う家庭用電子ゲーム機について紹介します。
◇電子ゲーム時代の幕開け
昭和53(1978)年に(株)タイトーが販売した「スペースインベーダー」は弾をよけながら敵を撃つという、シューティングゲームの基本スタイルを確立したビデオゲームで、社会現象になるほどのブームになりました。また、このゲームばかりを並べた遊技場は「インベーダーハウス」と呼ばれ、現在のゲームセンターの元祖とも言える業態を作り出しました。
しかし、ゲームセンターが対象とした客層は大人で、当時の子どもたちがこのゲームで遊ぶ機会はあまりありませんでした。
◇FLゲームは疑似ゲームセンター?
昭和54(1979)年から55年代初めごろまでという短い期間ですが、FL管(蛍光表示管)をディスプレイに使用した電子ゲームが流行しました。
FLゲームにはゲームセンターで稼働しているゲームを家庭用にしたものも多く、本体のデザインや十字レバーとボタンを使って自機を操作するなどといった要素は、ゲームセンターに行くことのできない子どもたちをその気にさせました。
しかしながら、1台の価格が比較的高価だったこと、本体1つに対して1つのゲームしか遊べなかったことなどから、ロムカセット(ゲームのデータが入ったカセット)を交換できるゲーム機が登場すると、急速に姿を消していきました。
◇携帯ゲーム機の先駆け
1980年代になると、液晶画面を使った携帯ゲーム機が多く発売されるようになりました。その中でもブームになったのが任天堂(株)の「ゲームandウォッチ」です。昭和55(1980)年に発売されると瞬く間に人気商品となり、毎月1タイトルというハイペースで新商品が投入されました。
大きさはスーツの胸ポケットに入るサイズで、「時計を買う」という名目で大人が買いやすいように、時計の機能が付けられたといわれています。また、背面にはスタンドがあり、机の上などに立てることができるようになっています。ただし、主なユーザー層は小・中学生でした。
昭和60(1985)年の国内販売終了までに60タイトル近くが作られ、今でも根強いファンがいます。
◇「ファミコン」の登場
1970年代の終わりごろから、(株)エポック社の「カセットビジョン」など、ロムカセットを交換することでさまざまなゲームが遊べるゲーム機が発売されましたが、昭和58(1983)年に任天堂(株)が発売した「ファミリーコンピュータ」は販売台数で他のゲーム機を圧倒し、「普及の名機」となりました。その数は国内だけで1935万台、世界累計販売台数では6191万台という驚異的なものになりました。
ファミコンが子どもたちの生活に浸透し、社会の関心が高まるにつれ、マスメディアや教育関係者がネガティブな側面に注目するなど、ゲームに熱中する子どもたちとの摩擦が生まれ始め、それは今でも続いています。プラスの意味でも、マイナスの意味でも、ファミコンは日本のゲーム史やゲーム文化に大きな足跡を残したゲーム機であることは間違いありません。
◇新しくて古いゲームたち
家庭用電子ゲーム機が「昔の道具」として博物館に展示されているということに違和感を持つ方もあるかもしれません。
しかしながら、ファミリーコンピュータの発売からすでに42年。それは、生まれたころから液晶テレビやスマートフォンが当たり前のようにある年代の若者にとっては、十分に「昔の道具」なのです。
本紙25ページに展示案内を掲載しています。併せてご覧ください。
※「スペースインベーダー」は(株)タイトーの登録商標です。
※「ゲームandウォッチ」「ファミリーコンピュータ」「ファミコン」は任天堂(株)の登録商標です。
問合せ:歴史民俗資料館
【電話】751・3019
