スポーツ 夢のサムライブルーを背負いつかんだ世界二位

■デフサッカー日本代表 古島啓太(ふるしまけいた)

世界の舞台「デフリンピック」でつかみ取った銀メダル。結果を残すまでの道のりとデフサッカーにかける思い、そしてその先の未来を語る。

・プロフィール
1990年11月4日生まれ、守口市出身。
市立寺方小学校、市立第二中学校、常翔学園高等学校、摂南大学経済学部卒業。
現在はパラアスリート選手として住友電設(株)に所属しており、競技と業務を両立。その一方で、「東京2025デフリンピック」デフサッカー男子日本代表副キャプテン11番右サイドバックとして出場し、銀メダルを獲得。

■初めて日本で開催されたデフリンピックへの思いは強く
自身のデフリンピックへの挑戦は3度目。今大会では、副キャプテン、右サイドバックとしての挑戦。デフリンピック記念すべき100周年は初めての日本開催。「絶対に優勝したいと思いが強かったので、準優勝はすごく悔しい。でも、振り返ってみれば、開催地が福島県にも関わらず、会場には1万5000人ものサポーターが駆け付けてくれ、たくさんパワーをもらった。今までデフリンピックでは予選敗退で終わっていた。初の予選突破、銀メダル獲得はたくさんの応援があってこそだと感謝の気持ちが大きい」と話す。

■夢のサムライブルーまでの道のり
父・兄の影響で始めたサッカー。プレー中に飛んでくる指示が聞こえず、ワンテンポ遅れてしまう。これでは日本代表には到底なれないと高校卒業を機にサッカーからは離れていた。
20歳のとき、ろう成人式でデフサッカーをやっている人と出会い、デフサッカーを始めた。日本代表にも選ばれたが、「サムライブルー」までの道のりは長かった。
自分たちでJDFA(日本ろう者サッカー協会)を立ち上げたものの、活動費を自分たちで持ち寄って活動したり、当初はコンクリートの上で練習することもあった。JFA(日本サッカー協会)と同じサムライブルーのユニフォームは着られず、とりあえず同じような青色のユニフォームを着て戦った。
そんな下積み期間を経て、ついにサムライブルーを背負い、戦うことができたデフワールドカップ。夢が叶った瞬間だった。
次の目標は、2年後のデフワールドカップ。デフリンピックでは達成できなかった「世界一」というチーム目標に向け、再スタート。

■古島選手 徹底解剖!
◇2歳で補聴器をつけ始めました
母と一緒にろう学校(耳が聞こえない人の学校)の幼稚舎に通い、言葉・発音などを学びました。小学校からは地元の学校に通い、授業も他の生徒と同じように受けました。口の動きを見て言葉を予想しているので、黒板を向きながら話さないでほしいとだけお願いし、わからないところがあれば、先生や友達に聞きながら何とか大学まで卒業しました。
18歳のときに近所のお姉ちゃんに誘われ、ろう者の集まりに参加し手話を覚えました。

◇通勤中に大地震に遭い…
電車内で大地震に遭いましたが状況がわからず、1時間半歩いて会社に向かいました。会社に着いたものの誰も出勤しておらず。聞こえないことで情報格差をなくしたいと障がいへの理解促進の活動にも力を入れています。

◇守口で生まれ育ち
現在も守口市に住んでいます。大枝公園は今も昔もよく行く思い出の場所。新しくなり雰囲気は変わりましたが、今では息子と一緒に遊びに行きます。息子はまだサッカーに興味がないのですが(笑)

◇古島選手にとってデフサッカーとは?
「自分の輝ける場所」
デフサッカーを通して、子どもたちに希望、夢、勇気、耳が聞こえなくても生き生きできる場所があるということを伝えられる場所。聞こえない子どもたちへ未来をつなげていきたい。

■若者へメッセージ
「人との出会いを大事にしてほしい。出会いによって自分の人生を変えることもある、自分の成長につながることもある。1つの仕事、その日の過ごし方で人生は大きく変わる」

◇手話で『出会いに感謝』
※詳しくは本紙またはPDF版をご覧ください。

■代表候補選考会
古島選手も参加するデフサッカー日本代表 代表候補選考会が大枝公園で行われます!
古島選手をはじめプロ選手のプレーが間近で見られるチャンス。
日時:
4月11日(土)13:00〜17:00
12日(日)10:00〜13:00
場所:大枝公園 多目的球技場

問合せ:魅力創造発信課
【電話】06-6992-1353