文化 法輪寺三重塔再建50周年

法隆寺五重塔・法起寺三重塔と合わせて「斑鳩三塔」として多くの人に親しまれている法輪寺の三重塔は、昭和19(1944)年に落雷で焼失した後、昭和50(1975)年に再建されてから、今年で50周年を迎えます。
ここでは法輪寺三重塔の焼失から再建までの歴史を紹介します。

法輪寺は三井(みい)の地に所在していることから「三井寺」とも呼ばれています。創建については2つの説があり、1つは、推古(すいこ)30(622)年に聖徳太子の病気平癒を願い、山背大兄王(やましろのおおえのおう)らによって建立されたとする説。もう1つは、天智(てんじ)9(670)年に斑鳩寺が火災で焼けた後に百済開法師(くだらのかいほうし)ら3人が造営したとする説です。

■落雷による焼失
法輪寺の三重塔は幾度かの修復を経て、明治36(1903)年に最古の三重塔として国宝に指定されました。しかし、昭和19(1944)年7月21日の落雷によって三重塔は焼失しました。塔内の釈迦如来像(しゃかにょらいぞう)、四天王像は救い出されましたが、塔は火柱となり、身をよじるように燃え落ちました。全焼したために、国宝の指定は解除されました。
三重塔焼失直後に行われた取材では、三重塔の再建はしないと、当時の住職である井ノ上慶覚(けいがく)師は語っていました。しかし、後に住職を継いだ当時10歳の井ノ上康世(こうせい)師が、錦の袋に包まれた仏舎利(ぶっしゃり)を得したことをきっかけに、井ノ上慶覚師は三重塔の再建を決意されました。

■再建までの道のり
再建を発願してから、住職二代にわたって全国を勧進行脚していましたが、戦後の混乱期に加え、高度経済成長に伴う物価の高騰も重なり、再建は何度も足踏み状態となりました。この時、資金集めに奔走したのが作家の幸田文(こうだあや)氏でした。父・幸田露伴(ろはん)氏の代表作『五重塔』のモデルとなった天王寺(東京都)の五重塔が焼失する様子を目にしていた幸田文氏は、後にある出版社を介して法輪寺の勧進の話を知り、いてもたってもいられなかったといいます。

■工事中の様子
・明治36年の解体修理の設計図をもとに再建されましたが、心柱は堀立柱形式に戻され、創建当初の様式で再建されました。
・塔の瓦は重量のかかり方の都合から瓦を三層目から葺(ぶ)き、次に二層目、最後に初層の瓦が葺かれました。
・法被を着用した工匠によって相輪(そうりん)が据え付けられました。相輪は心柱の先端に、露盤(ろばん)、受花(うけはな)、九輪(くりん)などが順に据えられました。

■落慶(らっけい)
作家の幸田文氏をはじめ、全国から2万人を超える人々の支援を受け、昭和50(1975)年3月末に西岡常一(つねかず)棟梁と、その唯一の内弟子である小川三夫(みつお)棟梁(当時の副棟梁)らの尽力によって、旧来の場所に創建当初と同じ姿で再建されました。
塔内には、焼失時に救出された仏舎利や釈迦如来坐像、四天王像が安置され、昭和50(1975)年11月4日に完成を祝う落慶法要(らっけいほうよう)が営まれました。

■令和7年度秋季特別展「三重塔再建50周年記念特別展」
三重塔再建50周年を記念して、特別展が開催されます。
日時:11月1日(土)~7日(金) 午前9時~午後4時
場所:法輪寺境内および庫裏(くり)
内容:
・三重塔特別御開扉(ごかいひ)(※荒天時を除く)
・展示
(1)三重塔心礎納置銅壺(さんじゅうのとうしんそのうちどうこ)
(2)三重塔再建関連資料
(3)西岡常一棟梁の道具
その他の展示
※特別展開催期間中は拝観料金が通常と異なります。
大人…600円
高校生~中学生…500円

■法輪寺住職
井ノ上 妙康(みょうこう) 師
昭和19年に三重塔が炎上した時には、三井集落の若者の多くは出征中でしたが、異変を知った村の方々は初期消火や仏像の救出などに奔走、また駆けつけた消防団の必死の放水によって金堂は類焼を免れたと聞いております。地域のみなさまのおかげにて三重塔も再建50周年を迎えることが出来ました。厚く御礼申し上げます。ぜひこの機会に当寺へお越しください。

■法輪寺 拝観案内
場所:〒636-0101奈良県生駒郡斑鳩町三井1570
電話番号:【電話】0745-75-2686
拝観時間:
午前8時~午後5時(3月~11月末日)
午前8時~午後4時30分(12月~2月末日)
拝観料金(個人):
大人…500円 高校生~中学生…400円 小学生…200円
駐車場:有(無料)

問合せ:地域振興課(斑鳩文化財センター内)
【電話】0745-70-1200