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- 自治体名 : 和歌山県紀の川市
- 広報紙名 : 広報紀の川 令和7年5月号
令和7年3月13日、紀の川市文化財保護審議会からの答申を受け、新しく2件の文化財資料が「紀の川市指定文化財」に指定されました。これで本市指定文化財は合計で111件となりました。今回指定されたのは、神通に所在する石造地蔵菩薩坐像(広報紀の川令和3年3月号「万蔵地蔵と修験の道」参照)と、中三谷に所在する五輪塔です。
五輪塔は、平安時代後期頃から造立が始まった塔の一種で、鎌倉時代以降は供養塔や墓塔として造立され、今でも全国各地の墓地などでよく見かけます。その形は下から四角形(地輪)、円形(水輪)、三角形(火輪)、半月・宝珠型(空風輪)をしており、仏教での宇宙の構成要素とされる五大思想(地・水・火・風・空)や人体の部分(五体)を表しているとも言われます。
中三谷に所在する五輪塔は高さ113・7cmで、砂岩でできた4つの部材を組み合わせています。空輪頂部先端がわずかに欠損していますが、保存状態は良好で、各部材の正面に梵字(ぼんじ)(ア・ビ・ラ・ウン・ケン/大日報身真言)が大きくかつ深く彫られています。石材の共通性や各部材のバランス、梵字の様相を含めて、当初の姿のまま伝来したと考えられます。年代を示す銘はありませんが、五輪塔の梵字や形状の特徴は、紀の川上流域に所在している14世紀中頃の五輪塔の一群よりは古い様相を示しています。また、高野山西南院五輪塔群(1256~1287年)に近い傾向があることから、造営時期は、13世紀末葉前後であると考えられます。
中三谷の五輪塔の所在地は、鎌倉時代の貞応年間(1222~1224年)に明恵が草創した建初山愛染院金剛寺跡(令和4年10月号「中三谷の金剛寺」参照)で、江戸時代に編纂(へんさん)された『紀伊国名所図会』には俵藤太(別名:藤原秀郷)墓として五輪塔が記されています。鎌倉時代の歴史書である『吾妻鑑』では、藤原秀郷はこの地、中三谷が属する池田荘を領地とし、平安時代後期以降、秀郷の子孫佐藤氏が荘官として登場します。鎌倉時代になると佐藤氏が衰退し、尾藤氏が大きく勢力を伸ばしますが、尾藤氏もまた藤原秀郷を祖とした同じ一族であるため、これらの一族によって五輪塔が造立されたと推測されます。
この五輪塔は、本市で最も古い五輪塔の可能性があるとともに、この地域の歴史を伝える重要な資料です。これからも大切に守り、受け継いでいきたい地域の宝物です。
問合せ:紀の川市文化財保護審議会
【電話】77-2511(生涯学習課内)