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- 自治体名 : 和歌山県高野町
- 広報紙名 : 広報高野 令和7年12月号
光臺院は、高野御室とも呼ばれ、青巌寺(現在の金剛峯寺本坊)で自刃した豊臣秀次の供養塔なども見られる由緒ある寺院です。寺院を構成する客殿や本堂なども素晴らしい建物ですが、ここには近代の建築ではありますが、興味を引く建造物が2棟あります。2棟は、前回紹介した苅萱堂とともに、国の登録有形文化財に登録された建造物です。今回は、その2棟を紹介します。
光臺院多宝塔は、小ぶりな多宝塔ですが、形式的に整いプロポーションも優れた塔であり、寺院の北西にある庭園の景観を引き立てる添景となっています。この多宝塔は、大正6(1917)に移築された前身多宝塔に代わり建てられたものです。建築にあたっては、大阪の実業家藤田平太郎の寄進により建設され、高野山の辻本彦兵衛が棟梁を務めました。なお、移築された多宝塔は、大阪の藤田美術館にあり、大阪市指定文化財となっています。
光臺院経蔵は、光臺院に向かう参道の西側にある昭和2年(1927)建設の宝形造本瓦形銅板葺の校倉造の経蔵で、その名のとおり経典を保管する蔵として使用されています。この校倉造の経蔵は、校木を同高に積み上げる独特な工法をとっています(校木の断面三角形の頂点が同じ高さとなるよう積み上げる。正倉院等の校倉造は校木を段違いに積み上げている)。なお、この経蔵同様に高野山に残る他2棟の校倉造の建造物も校木を同高としており、高野山の建築の特徴の一つといえます。
高野山でも数少ない校倉造りの建造物で、近代高野山の経蔵として重要なものです。
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