文化 高野山の総門「大門」 重要文化財〜歴史と信仰の玄関口〜

日本仏教の聖地「金剛峯寺」のお坊さんのおはなし

国内外より高野山を訪れる方々、また日々この地で生活される皆さまにとって、必ず目にされる象徴的な存在、それが高野山の総門「大門(だいもん)」です。
現在のように電車や自動車がなかった時代、多くの参拝者は山麓の慈尊院から「町石道(ちょういしみち)」と呼ばれる参詣道を徒歩で登りました。その距離およそ21km、約半日をかけてたどり着いた先に現れるのが、この荘厳な楼門です。
標高約900mの山中に突如として姿を現す朱塗りの門は、訪れる人々に深い感動と敬意をもって迎えられてきました。
門の左右には、阿形(あぎょう)・吽形(うんぎょう)の金剛力士像(仁王像)が安置されており、日本で二番目の規模を誇るとされています。江戸時代の名仏師・康意(阿形)と運長(吽形)による迫力ある像は、間近で見るとその圧倒的な存在感に心を打たれます。
大門の歴史は古く、現在のような楼門形式が採用されたのは藤原時代・保延6年(1140年)頃と伝えられています。それ以前は、現在地より約500m下の「九折谷(つづらだに)」に鳥居が設けられており、これが高野山の総門の役割を果たしていました。その後、雷火などにより幾度も焼失し、現在の建物は元禄元年(1688年)に焼失後、宝永2年(1705年)に再建されたものです。
昭和61年(1986年)には、弘法大師御入定1150年御遠忌記念事業の一環として、大規模な解体修理が行われ、5年3か月をかけて修復されました。
建築は五間三戸の二階二層門で、規模は正面幅21.4m、奥行7.9m、高さ25.1mに及びます。正面の柱に掲げられた聯(れん)には、
「日々の影向(ようごう)を闕(かか)さずして、処々の遺跡を檢知す」
との言葉が記されています。これは、弘法大師が毎日奥之院より現れ、各地を巡って人々を救済しておられるという信仰「同行二人(どうぎょうににん)」を表したものです。
また、天候に恵まれた日には、大門から遠く淡路島までを見渡すことができる絶景スポットでもあります。ぜひ、晴れた日に眺望をお楽しみいただいてはいかがでしょうか。

問合せ:高野山真言宗 総本山 金剛峯寺
【電話】0736-56-2012