- 発行日 :
- 自治体名 : 島根県松江市
- 広報紙名 : 市報松江 2026年2月号
米原克則(よねはらまさのり)
1980年6月生。松江東高校卒業後、大学進学を経て金融業界に約20年従事。現在は生命保険を通じ、人生設計や老後の安心づくりに携わっている。宝塚市在住。
私の松江の想い出は、大きく分けると幼少期と青年期にあります。
幼少期は、南田町で小学4年生(母衣小学校)まで過ごしました。父が県庁に勤めていたため、県職員住宅に家族5人で暮らしていました。敷地内には3棟の住宅が並び、同世代のこどもも多く、半径百メートルほどの〝ミクロな松江〟が、私の世界のすべてでした。
敷地内では鬼ごっこやボール遊び、自転車を乗り回し、敷地を出れば空き地があり、近くには京橋川やドブもありました。毎日、日が暮れるまでこどもたちが声を上げて遊び、車にサッカーボールが当たることも、バットで打ったボールが近所の庭に入って謝りに行くことも日常でした。今思えば、大人たちはどんな思いで見守ってくれていたのだろうと、感謝の気持ちが湧いてきます。近くには「養益舎」という牛舎があり、そこで母によく買ってもらったコーヒー牛乳は、今も忘れられない味です。
その後、父の転勤で3年間出雲で暮らし、再び松江へ戻りました。西津田の県職員住宅に住み、大学進学までを松江で過ごしました。松江東高校へ通うため、橋南と橋北を自転車で行き来する日々は、自然と〝マクロな松江〟を身体に刻み込む時間でした。浪人時代に東高の補修科へ通ったことで、その想い出はさらに深まります。
よく足を運んだのが、学園通りにあったラーメン屋の「はなさか」です。野球部の練習後や浪人生の勉強帰りに通い、空腹を満たしてくれた、私にとっての大切な味でした(特に味噌ラーメン)。
養益舎も、はなさかも、今はもうありません。しかし、それらは今も私の記憶の中で、確かに息づいています。
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