くらし 〔連載特集〕筆の里工房周辺の整備事業~つながるつなげる~(その12)(1)

わずか75年後には、日本の人口が今の半数に減少すると見込まれるなか、“ふるさと熊野”を子や孫に残すために、私たちには今できることがあります。
個性豊かな文化を活かした魅力的なまちづくりも、移住する場所、住み続ける場所として人々をまちに惹き付ける大切な取り組みの一つのはずです。
熊野町は筆産業とそれにより培われた文化芸術が息づくまちです。このソフトパワーを活かし、この地に住む人々がつながり、まちと文化を未来につなげるため、都市公園と観光交流拠点施設の建設を進めています。

■-「天平筆」から「熊野筆」に至る筆文化について-
今から三十数年前、向久保健蔵さん(城之堀)は、筆の里工房建設の契機ともなった、住民主体で組織された『筆の里くまの会議』のメンバーとして活動されました。また、筆の穂先に使う毛(原毛)の科学的研究や、奈良の正倉院の宝物である「天平筆」の調査に携わってこられたなど、筆の歴史や文化といった方面にも造詣が深い筆職人の一人です。
そんな向久保さんを迎え、筆の里工房の管理者である一般財団法人筆の里振興事業団・石井理事長とさまざまな視点からお話しいただきました。

■筆の原毛研究、正倉院の宝物の毛や筆の調査を通じて想うこと
―向久保さんは、筆に関する調査研究など、産地である熊野町にとって有意義な取り組みに携わってこられたのですね。
原毛に関する研究では、“脱脂(原毛から脂分を除く工程)”に化学洗剤を用いる実験を行いました。採算性や原毛の変質、作業工程の複雑化などの課題から実現はしませんでしたが、改めて伝統技法を見直すきっかけになりました。
また、伝統工芸士の實森康宏さんと一緒に、正倉院にある伎楽のお面などに使われた毛を調査しました。正倉院では、他にも「天平筆」の調査もしました。この筆の穂先は、芯毛の根元を和紙で包み、その上に別の毛を被せて和紙で包む工程を繰り返す巻筆の製法で作られています。また、奈良時代に写経で使われていた筆には、“ウサギ”の毛が重要だったことがわかりました。

―どのようなことをきっかけに、筆づくりの製法や歴史的な背景などに興味を持たれたのですか。
40年程前、原毛の研究資料や筆の研究家による著述などを参考に執筆した『The筆』という本を出版しました。しかし、本を出した私自身が筆づくりに自信が持てない、といった葛藤がありました。
その葛藤がきっかけで、職人として筆づくりに専念しつつ、筆や文字の歴史と文化の研究をライフワークとするようになりました。

―書道筆の生産量は大きく減少しています。今後も、熊野町の筆産業が市場で優位性を保つうえで、向久保さんのように、筆や文字の歴史と文化といった側面からのアプローチが一層重要になってくるのではないでしょうか?
正倉院での調査においては、筆や書の歴史および文化に関する一定の知識をもとに、書家や学者とは異なる“職人”としての感性や視点をもって宝物の筆に接しました。筆職人がそれらに対する理解を深めることで、用途や書風に応じて更に専門的な対応ができると思っています。市場の優位性を保つうえでも有効でしょう。

■「書」や「書道」、「書写教育」の現状と今後
―令和3年10月、書道は、国の“登録無形文化財”に登録されました。しかし、10年前と比べると、書道人口は220万人と半減しました。
小学校から始まる書写書道の教育ですが、中学卒業と同時に離れていく人が多く見られます。
筆を取り巻く環境はこれからますます厳しくなるでしょう。指導者不足もあり、中学・高校における部活動としての書道も、次第に衰退してしまうのではないでしょうか。
だからこそ、“筆づくりのまち熊野町”に、書道が体験できる“場”を作ることに意味があるのだと思います。
“日本一の筆産地で創作する”ということが、大きな誇りとなり、感動する体験となる、ということを外部の参加者からよく言われます。

―新施設での創作体験は、子育て世代の親子を対象とした、書への理解につながるさまざまなプログラムも検討したいと考えています。
子どもの習字に使う筆の問い合わせをいただくことがあります。それに的確にお応えするために、私たち職人には、大きさや穂先の形状などが子ども向きの筆を製作し、提供する体制を整える努力が求められます。
筆の里工房のサービス提供においても、創作や手書きに興味がわくような、細やかな配慮が大切になると思います。