- 発行日 :
- 自治体名 : 山口県柳井市
- 広報紙名 : 広報やない 令和8年1月8日号
■岩国に入封(にゅうふう)した吉川広家(3)
錦にしみ見に移住させられた柳井津の豪商
市教育委員会 社会教育指導員 松島幸夫
新年にあたって、どのご家庭も平穏なお正月であったと察します。さて今から526年前にあたる戦国時代の元旦、楊井(柳井)津はことのほか優雅な雰囲気に包まれていました。前日の大晦日に、華美な装飾をした船が楊井津に着岸し、降りて来たのはなんと室町幕府の前将軍である足利(あしかが)義尹(よしただ)(後に義稙(よしたね)と改名)でした。気品に満ちた雰囲気で上陸する前将軍を、従者(じゅうしゃ)が取り巻いて豪商の館に送り込みました。楊井津の豪商は、瀬戸内海で獲れた魚など美味な料理を並べて厚くもてなしました。町中が提灯に照らされたまま元旦を迎え、前将軍に挨拶をする客が列をなしました。楊井津の豪商たちの進物は高額なものばかりでした。戦国時代の楊井津には、すでに多くの富商(ふしょう)が存在していたのです。
時は経過し、岩国に入封する際に吉川広家は、財を蓄えた柳井津の富商たちに協力を命じました。荒野であった錦川下流に城下町を整備するにあたって、柳井津の豪商に岩国錦見(にしみ)への移住を命じたのです。城山眼下の横山地区に御舘(おやかた)や上級家臣の居宅を建て、川の対岸にあたる錦見地区に商人町を創ることにしました。とはいえ石が転がり、葦(あし)が生えている氾濫原(はんらんげん)です。まず川岸に土手を築き、客土(きゃくど)をして地ならしを行いました。次に商人を集めなければなりません。柳井津町と玖珂町がすでに商業で栄えていたので、両地から豪商たちを錦見地区に呼び寄せました。そのエリアは柳井町と玖珂町と称されました。吉川広家はその時の状況を、「久保久保田岡田亀岡浅海(あさのうみ) 坂田秋本白銀之辻(しらがねのつじ)」と狂歌(きょうか)に詠(よ)んでいます。柳井津から移住させた豪商の名を5・7・5・7・7に並べて詠み込んだのです。
江戸時代中期に描かれた錦見の柳井町の古地図を見ると、狂歌の中にあった商家の名が減って、白銀屋の名が多くなっています。次第に白銀屋が他の店を吸収合併した様子がわかります。白銀屋は、白銀(銀貨)を取り扱う両替商でした。両替えだけでなく、銭を貸し出すことによって利子を得て、店を拡大していったのです。
問い合わせ:文化財室
【電話】25-2424
