くらし 人権コラム No.138 つながり ぬくもり

『大切な忘れ物』

日本には、平安時代に書かれた古事記・日本書紀や、その他世界に誇る貴重な文化財がたくさん残っています。江戸時代になると教育熱心な国民性は、武士のための藩校だけでなく庶民のための寺子屋が全国に一万五千箇所あまりも開かれました。明治以前には日本人の識字に関する調査はありませんが、幕末に日本を訪れた宣教師や海外の要人たちの言葉から、鎌倉時代における日本人の識字率の高さが明らかとなっています。
昭和二十年八月に終戦。焦土化した国土を懸命に復活すると教育熱がぶり返し受験地獄となりました。それを解消するためにゆとり教育が導入されました。それ以後も社会構造の変化に対応できるよう心・技・体のバランスのとれた豊かな人間性の育成を目指して教育改革が進められています。
近年、電子機器などの急激な進歩と共に社会構造の変化は複雑で多様な価値観を生みだしました。このような社会構造の中で、教育目標の一つである自己実現を成し遂げることに熱中すれば、他人を思いやる心の余裕が少なくなってしまいます。
現在の各種報道によると、いじめや児童虐待は収まる様子もありませんし、SNSなどを使って中高生を巻き込みながらの詐欺事件や殺人強盗事件なども多発しています。これは、自分の欲望を実現する活動に際し、その活動のみに夢中になり、他人を思いやる心が大きく欠落し、そのため重大な事件が起きて殺伐とした社会状況になったとも考えられます。
だとすれば、私たちが目指している豊かな人間性を育てる過程で、大切な忘れ物をしていると思えてなりません。
そのようなことを漠然と思い巡らせているとき、ふと次の言葉が頭をよぎりました。「自分が今幸せでも周りに不幸な人がいれば、それは本当の幸せではない」です。そして最近、「他人に何かをしてあげるときに『ありがとう』と言う人がいる」との言葉に出会いました。善行は、受け取ってもらうことで成立するとの教えでしょう。
私たちは心を戒める教えの言葉を多く知っています。この教えの言葉を忘れずに心の中で反芻(はんすう)する習慣があれば、どのような社会状況下でも他人の幸せを一義的に考えられる、心・技・体のバランスのとれた豊かな人間性が形成できるはずです。
この生き方を地域のみなさんと実践することが、日本古来の「道(どう)」の教えを後世に伝達することではないでしょうか。

平生町人権教育推進協議会
(事務局:町教育委員会)