くらし ハンセン病を正しく理解し、偏見・差別をなくしましょう!

■ハンセン病とは
「らい菌」に感染することで起こる病気です。感染症なので、遺伝することはありません。「らい菌」は感染力が弱く、非常にうつりにくい病気で、現在の日本では感染することも発病することもほぼありませんが、感染し発病すると、手足などの末梢神経が麻痺し、皮膚に様々な病的な変化が起こることがあります。治療法のない時代は、体の一部が変形するといった後遺症が残ることがありましたが、現在では治療法が確立され、早期発見と適切な治療により後遺症を残すことなく治すことができるようになっています。
かつては「らい病」と呼ばれていましたが、明治6年に「らい菌」を発見したノルウェーの医師・ハンセン氏の名前をとり現在は「ハンセン病」といわれています。

■ハンセン病の歴史
ハンセン病の歴史は紀元前に始まり、日本では、「日本書紀」や「今昔物語集」に「らい」の記述があります。19世紀後半、ハンセン病はコレラやペストと同じような恐ろしい伝染病と考えられるようになり、偏見や差別の対象にされることがありました。

▽隔離政策の始まり
日本では当初、明治40年(1907年)に「癩(らい)予防ニ関スル件」が制定されたことにより、各地を放浪する「浮浪らい」と呼ばれるハンセン病患者が施設に収容されましたが、やがて自宅で療養する患者も収容されるようになりました。ハンセン病と診断されると、市町村や療養所の職員、医師らが警察を伴い度々患者のもとを訪れました。そのうち周囲から家族も偏見や差別の対象とされることがあったため患者は自ら療養所に行くしかない状況に追い込まれていったのです。
昭和6年(1931年)には全ての患者の隔離を目指した「癩(らい)予防法」が制定され、各地に療養所が建設され、全国各地で「無癩(らい)県運動」という名の下に、患者を見つけ出し療養所に送り込む施策が行われました。保健所の職員などが、患者の住居を大掛かりに消毒したことにより、患者だけでなく、その家族たちへの偏見、差別もさらに高まっていきました。
昭和28年(1953年)、「癩(らい)予防法」は「らい予防法」に改正されました。しかし、治療薬が普及しているにも関わらず強制隔離を続け、退所規定が設けられませんでした。一度療養所に入所したら一生そこから出ることができなかったのです。

▽隔離政策の終わり
平成8年(1996年)「らい予防法」が廃止され、ようやく患者隔離政策が終わりました。平成10年(1998年)入所者らによって、国のハンセン病政策の転換が遅れたことなどの責任を問う「らい予防法違憲国家賠償請求訴訟」が提起され、平成13年(2001年)に原告の訴えを認める判決が熊本地裁から出されました。国は、控訴を行わず、患者、元患者に謝罪しました。
その後、「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が施行され、補償金の支給や名誉回復が図られることとなりました。さらに、令和元年(2019年)には、ハンセン病元患者の家族に対しても、隔離政策により極めて厳しい偏見・差別が存在したことを国が認め、謝罪しました。「ハンセン病元患者家族に対する補償金の支給等に関する法律」が施行され、補償金の支給や名誉回復が図られることとなりました。

■私たちにできること
約90年にもわたる誤った国の政策によって「ハンセン病は恐ろしい、治らない」という認識が人々に植え付けられ、今なおハンセン病に対する偏見や差別は根強く残っています。
ハンセン病について正しい知識を身に付け、理解することで、偏見や差別をなくすことにつながります。私たちがハンセン病問題について関心をもち、ハンセン病問題を考えることからはじめてみましょう。

■ハンセン病元患者のご家族へ
対象となる方々に「補償金」を支給します。
秘密は守られます。まずはお電話でご相談ください。

▽厚生労働省補償金相談窓口
【電話】03-3595-2262
受付時間:午前10時~午後4時(月曜日から金曜日)
※土日祝日、年末年始除く。
※請求期限が令和11年11月21日まで延長されました。

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