- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県福岡市
- 広報紙名 : 福岡市政だより 令和8年1月1日号
市長:市政だよりにご登場いただき、とてもうれしく思っています。対談を楽しみに参りました。
椎名:福岡にはお世話になっていますので、お断り申し上げる理由はどこにもありませんでした。こちらこそ、お会いできて光栄です。
市長:中学、高校時代を福岡で過ごされ、当時はバンド活動もやっていたそうですね。アーティストを志したきっかけは何だったのですか。
椎名:中学時代に「体育祭で使う曲を一つにまとめてくれないか」とか「3曲を3分にまとめてほしい」とか、音楽に関する役割を与えられることがよくありました。友達や先生に頼まれて、クリエイティブなことをいろいろやっているうちに、「ものを作るって楽しい」という自覚が芽生えたんじゃないかと思います。
市長:歌を歌うことが天職だと思ったのはいつですか。
椎名:今でも思っていないです(笑)。福岡の人は、周りをよく見ていて、良さを引き出してくれる。みんながプロデューサーなんです。「バンドやろうよ」って言われてバンドを始め、周りの人は「全国行ったらいいっちゃないと」って言っていました。
市長:「あ、そうなのかな」って、福岡の人たちに乗せられたということですか。
椎名:はい、そう自覚しています。福岡に住んでいなかったら、全く別の道を進んでいたと思います。お祭りもありますし、プロデューサー気質が根付いているんでしょうね。
市長:祭りといえば、「博多どんたく」は、見るだけでなく自分が舞台に立つ祭りです。福岡では、みんなが主役という意識も定着しているのかもしれません。
椎名:福岡の人は、仕掛け上手で、遊び上手なんですよ。みんなに触発してもらいました。学生時代の仲間とは、今でもいい友達です。
市長:デビュー当時の、あの独特の世界観はどのように生まれたのでしょうか。
椎名:毒にも薬にもならないものなら作りたくないという気持ちが最初からありました。ただ雰囲気のいい曲やムードのある曲を作るのは、自分の仕事じゃないって、何となく自覚していたんです。「しゃれとう」だけのものはダサいなって。人々の暮らしそのものに、ちゃんと肉薄して描けていないと「つまらん」と。お相手が地元の方だと思うとつい方言になってしまいます(笑)。
市長:「しゃれとんしゃあ」とか「つやつけとう」とかは恥ずかしい、みたいな…。
椎名:ええ。はやりのものだけじゃなくて、グッと真に迫るものも作りたい。聴く人は、手軽に楽しめるタッチのものより、そういう重みのあるものを求めているはず。なぜなら私がそうだし、尊敬している周りの友達も皆そうだったから。そうじゃなければやめちゃっても全然構わないという感じでしたね。
市長:自分の本音がどこにあるのかを探すのって、結構大変だと思いますが、そこにしっかり向き合ってこられたということですね。
■大切にしていること
市長:椎名さんの楽曲にはとがった歌詞も多い印象なのですが、表現において、自分なりの基準のようなものはありますか。
椎名:言葉で説明するのが難しいですね。私、先天性疾患のため、生後2日ぐらいまで、瀕死の状態だったんです。たまたま命を助けていただけましたが、たぶん母は大変だっただろうと、子どもを産んでより明確にそれを実感しました。だから、自分の中の決まりとして、同じような状況の母親の気持ちを、常に想像するようにしています。その人に見せられるか、その人が笑ってくれるか、それとも、「何書いてんの」ってがっかりさせちゃうんじゃないかとか……。そこをクリアできていれば、どんなに際どいテーマへ切り込む際も間違えないんじゃないかと思っています。
市長:3人のお子さんを育てていらっしゃいますが、産む前と後でどう変わりましたか。
椎名:例えば、以前は世の中に対して反抗的な態度でいても格好がついたというか、私はそういうスタイルが似合っていたと思うんです。それが子どもを産んで、急にしっくりこないことに気が付いて……。子どもが生きていく世界では「かっこいい」とかどうでもいい。子どもが安心して暮らせる場所にしなきゃいけないという観点になって、まるっきり基準が変わりました。全ての一人称が、子どもになるんです。意識的にそうしてるとかじゃなくて、自動的になることに驚きました。そういうのは前もって教えておいてほしかったですね(笑)。
市長:ご自身の内面が変わっていく中、これまでの椎名林檎像を守らなければという葛藤はありましたか。
椎名:すごく悩みました。悪目立ちしないように、しれっとしていようと思って、7~8年ぶりっ子して過ごしていました。今は堂々と、ありのままの自分を表現できるようになっているはずです。
