- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県筑紫野市
- 広報紙名 : 広報ちくしの 令和7年10月号
■其の百十八
今(いま)もたたずむ静(しず)かな約束(やくそく)~三国境石(みくにざかいいし)~
筑紫野市原田と佐賀県基山町との境にある小高い丘の頂上に、江戸時代の国境石「三国境石」が立っています。現代まで県境として生き続けるこの場所で、約220年前、筑前、肥前、筑後の三国(さんごく)の国境をめぐる争いが起きていました。
三国境石の建立の経緯を記した史料によると、三国の境に元々あった塚が徐々に崩れて、わずかに残る程度になってしまいました。そこで三国の代表者が協議して国境に石柱を建てることになりました。国境石に刻む銘文をめぐって協議は難航しましたが、約半年後には無事に完成しました。しかし実はそれ以前から、三国境石の建てられた丘の麓では、筑前と肥前が国境をめぐってもめていました。そこで肥前国は、まずは筑後国を交えて三国境石を立てて親しい仲になり、次に二国の国境石を立てようと考えていました。
一般的な国境石は四角柱が多く、三国の境に共同で一石だけ円柱形の国境石を立てることは全国的にも珍しいことです。
珍しい円柱形の国境石には、「話が丸くおさまりますように」、そんな願いが込められていたのかもしれません。
江戸時代、三国で取り交わされた国境の約束の証は、今も静かにたたずんでいます。
問合せ:文化財課
