- 発行日 :
- 自治体名 : 福岡県太宰府市
- 広報紙名 : 広報だざいふ 令和8年1月1日号
■大内氏(おおうちし)の半済(はんぜい)と天満宮領
半済とは、年貢などを半分だけ領主に納入することを意味し、鎌倉時代から事例が見られます。南北朝時代になると、室町幕府が内乱の中で臨時に戦費を捻出するため、貴族や寺社の領地において半済を実施し、年貢の半分を武士たちに分け与えるようになります。続いて年貢を折半するだけでなく、土地自体を分割して与えるようになりました。
この半済によって分割された領地を武士たちに預ける権限を、幕府は各国の守護に与えたので、守護たちはこれを利用して管轄国内の武士たちとの間に主従関係を形成していきました。さらに守護は独自の意思で半済を行うようになり、自らの領国統治の手段として役立てていきます。今回取り上げる大内氏による半済も、その中の一つです。
大内氏の半済については、すでに研究成果が発表されているので、そちらを元にご紹介します。同氏が実施した半済は大きく二つに分けられ、一つは一国全体あるいは領国全体の寺社の領地で一律に行われる惣国準拠(そうこくじゅんきょ)の半済と呼ばれるもので、もう一つは個別の寺社領で行われる半済でした。前者は大内氏が大規模な戦争をする際に必要な費用を確保するための手段で、後者は個々の事情に応じた小規模なものです。ここでは後者について、太宰府天満宮の領地を例に挙げてみます。
天満宮の社家の一つである満盛院(まんじょういん)の領地に、筑前国早良郡(ちくぜんのくにさわらぐん)の戸栗(へぐり)・重富(しげとみ)(現福岡市西区〜早良区)があります。この地については前に取り上げたことがあり(2021年10月号・22年1月号)、大内氏が他国から亡命してきた人々(宗大和守(そうやまとのかみ)・千葉胤勝(ちばたねかつ)・龍造寺胤栄(りゅうぞうじたねみつ)ら)を庇護し、一時的にこの地で領地を与えていたことをご紹介しました。実はそのたびに大内氏は両所に半済を実施し、亡命者に与える領地を作り出していたのです。それは史料が残る分だけでも、戦国時代に4回も確認できます。よって領主である満盛院は、たびたび領地の半分を没収されて迷惑し、そのつど大内氏に返還してくれるよう訴えざるを得ませんでした。大変な労苦だったのではないかと思います。
太宰府市公文書館
大塚(おおつか)俊司(しゅんじ)
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