文化 太宰府の文華~公文書館だより(139)~

■太宰府町、消防ポンプを買う
明治に入り、町や村の消防の担い手は、江戸時代からの仕組みを引き継ぎながらも、主に「消防組」として組織化され、各地域の青年団を構成員の中心として発展していきます。水城村では大正10年頃には「消防団」が結成され、それまで大字単位に置かれていた消防組が新たに分団として再編されました。太宰府町では、昭和14(1939)年の警防団令(勅令第20号)により消防組織が「警防団」と改められて機能が拡大され、本部が役場内に設置されます。水城村・太宰府町とも団員には半纏(はんてん)や法被(はっぴ)が支給され、各団の代表である組頭(くみがしら・くみとう)は、地域の年配者が務めました(『太宰府市史民族資料編』『同通史編3.』)。
ところで、火災の現場において重要な消火活動の一つとなるのが放水です。古くは「龍吐水(りゅうどすい)」や「雲竜水(うんりゅうすい)」と呼ばれる放水用の器具が使われていましたが、同じ手動ではあれ「腕用(わんよう)ポンプ」の普及・発達により放水作業に格段の進歩がありました。さらに蒸気ポンプ・ガソリンポンプといった自動式の器具が登場し、国産化も実現して大都市を中心に全国へ広がっていきます(『消防団百二十年史』)。
大正14(1925)年、太宰府町ではそれまで旧式腕用ポンプに頼っていた消防を見直し、「最新式ガソリンポンプを備えもって恐るべき災禍を未然に防ぎ、かつ有事に備え一般町民の安定を計らん」として翌年度の予算にその購入費を盛り込みます(大正14年第10回太宰府町会会議録)。その額5千円、現在のお金に換算すると350万円程度ですが、当時としては大変大きな出費で、しかもその8割は町の有志者からの寄付金を想定していました。導入後はもちろん高額な燃料費も掛かるので、町としては一大決断だったと思われます。
手動ポンプに比べて、ガソリンポンプは重量があり取り回しが難しく始動にも時間を要したようで、もしかしたら機動性に欠ける点があったのかもしれません。当時どれくらいの活躍をガソリンポンプが見せたかは分かりませんが、燃料の入手も非常に困難となってくる昭和19(1944)年、太宰府町では故障続きだったガソリンポンプの修理を決意し、当初の想定をはるかに上回る修繕費3640円を追加更正予算として上げています(昭和19年第3回町会会議録)。「時局急迫し空襲必至の今日、警防の任いよいよ重大を加えたる折柄」(第4回町会会議録)、町としては苦渋の決定だったといえるでしょう。

太宰府市公文書館
藤田(ふじた)理子(まさこ)
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