くらし 認知症とともに、私らしく生きる。(1)

■認知症×共生社会
◇小さな「できた」を支え合えるまちへ

誰もがいつか当事者になりうる「認知症」。
だからこそ、私たちが社会の中心に据えるべき言葉がある。
それは、「尊厳」と「その人らしさ」。

認知症になっても、全てが分からなくなる訳でも全てができなくなる訳でもない。
できることやできるようになることだってたくさんある。
「自分で選び、自分で決め、自分の役割を持って生きたい」
その思いは診断後も変わらず、むしろより強く輝くことがある。
これが「新しい認知症観」の大切な視点。

もちろん頭では分かっていても、現実には介護者や家族にも葛藤や苦しさがある。
支える側の「尊厳」も置き去りにされるべきではない。
だからこそ、きれいごとでは済まされない”現実”を分かち合い、”社会全体で支え合える仕組み”が必要なのだ。

大きな目標でなくていい。
小さな自己実現をみんなで支え合える社会――それが、私たちのめざす「共生社会」のかたち。

共に「私らしく生きる」ことが尊重される古賀市へ。

■〔認知症希望大使〕丹野 智文(たんの ともふみ)さん
「地域とともに支えあい笑顔あふれる古賀市に」2025年9月20日講演より

◇認知症希望大使
厚生労働省や都道府県などが任命し、認知症の当事者として講演会やイベントなどで社会にメッセージを届ける役割を担っています。

▽「認知症」と聞くと、どんなイメージがありますか?
多くの人が、不安や心配を思い浮かべるかもしれません。

39歳で若年性アルツハイマー型認知症と診断されたとき、頭に浮かんだのは「これからどう生きていけばいいんだろう」という言葉でした。
不安と恐怖で毎晩泣いてばかりいた時、人に優しく元気な認知症の当事者の方と出会い、話をする中で気づいたんです。
“認知症になったからといって、何もできなくなるわけじゃない”

■財布を持って買い物に行く。 それだけで、人生が変わることがある。
診断後、家族は心配して私から財布を取り上げました。「失敗するから」「失くすから」という理由です。
でも、財布を持てないということは、自分で選ぶ喜びや、自分の力で生きている感覚を奪われるということでした。

同じような経験をした当事者同士で話し合って、「じゃあ、いくらなら持ち歩ける?」と真剣に考えたことがあります。
「1,000円じゃラーメンを食べられない。」「5,000円だと失くしたときにショックが大きい。」
話し合った結論は、「3,000円」。

金額自体ではなく、自分たちで考えて決めることができたという事実が、私たちに力をくれました。

皆で買い物に行き、自分でレジに並びました。80代の仲間が、「私はサンドイッチにする」と言ったときの表情を私は忘れません。自分で選んだその瞬間、顔が本当に輝いていました。

■失敗は悪いことじゃない。 大事なのは、成功で終わらせること。
ある日、家でパンを焼いている途中、隣の部屋に行ったらパンを焼いていることを忘れ、焦がしてしまったことがありました。
妻が代わりに焼くことは簡単でしたが、失敗だけで終わると人はもうやらなくなります。改めてパンを焼きなおしました。その時は、パン焼き機の前から離れませんでした。そしたら、きれいに焼けたんです。
たったそれだけのことかもしれませんが、その日は本当に嬉しかった。
誰かが代わりにやることは簡単ですが、できない体験で終わらせるのではなく、「できた」って思える瞬間が次の生きる力になります。