文化 なかがわのモノ語り

豊かな自然と人間の暮らしが調和する那珂川市。はるか昔から、この地では自然と共存していたことが、発掘調査で分かってきました。今回は中央公民館の文化財展示室から、さまざまなモノを紹介します。
今を生きる私たちに、那珂川の昔を知るモノたちが語りかけてきます。

●今回文化財を紹介してくれたのは…
・那珂川市役所 文化財課 保護担当 Yさん
展示室や企画展を担当しています。那珂川市の歴史や文化財を皆さんに知ってもらうために日々奮闘中です!

◆じっくり見てください。この文様どうやって付けたの?
縄文土器の「縄文」とは、縄でつけた文様のことですが、道具には木の棒や貝殻なども多く使われました。
この縄文土器は貝殻で縄文に似た文様をつけたあと、ヘラで渦を描き、さらに一部をすり消して交互に文様が出るように工夫されており、縄文時代の人々の美的センスが光ります。
(浅鉢・縄文時代後期・山田西遺跡群・高さ21・4cm)
アナダラ貝という海で獲れる2枚貝が使われました。市内に海はないですが、どこで手に入れたのでしょうか…

◆「実用」と「装飾」を兼ねる
これは土器のふちの部分の破片で、橋のような形の取手と、Wのような装飾がついています。取手の周りにはいくつもの円が重なった文様がつけられています。取手には穴があり、縄をかけて使ったのでしょうか?
(深鉢・縄文時代後期・山田西遺跡群・縦8・8cm×横12cm)

◆どんなこどもが身につけていたのか…想像がふくらみます!
この貝の腕輪の大きさは6.6cmで、甕棺墓(かめかんぼ)というお墓の中から3歳くらいのこどもの骨と一緒に見つかりました。素材となった貝は沖縄や奄美地方などの南海で獲れる貴重なもので、その貝の腕輪を身に付けているこどもは、将来権力を受け継ぐ立場にいたと考えられています。
(貝製腕輪・弥生時代・観音堂遺跡群・直径6.6cm)
貝の渦巻き部分を残しているのが特徴です。

◆再現度の高さに驚き!細部までこだわった副葬品
これは動物の皮でつくった皮袋を模した提瓶(ていへい・さげべ)という水筒のような珍しい土器です。主に古墳(お墓)に副葬されました。柔らかい皮製品を硬い焼きもので表現したデザイン性の高さは、今見ても面白いものです。皮袋は、動物と共に暮らしていた北方の遊牧民族に特徴的な生活用具であり、その文化がこの時代に入ってきていたと考えられます。
(皮袋形提瓶・古墳時代後期・左:観音山古墳群・右:片縄山古墳群・どちらも高さ15.6cm)
点や丸で縫い目を表現しています。まるで生地を縫い合わせたようにつくりだした周りの部分がリアルです!

◆まさに「文字」は情報!発見からわかることは?
「寺」と「湯」の文字が墨で書かれた甕(かめ)といううつわです。奈良時代、文字はまだ中国から入ってきたばかりで、読み書きができるのは都の役人や僧侶など限られた人々だけでした。土器が出土した場所には寺があり、文字の読み書きができる人物もいたのだと考えられます。「西の都」大宰府との関連が想像されます。
(墨書土器・奈良時代・別所次郎丸遺跡群・縦17・7cm×横19・5cm)
「寺」や「塔」、「七」、「十」などの文字をうつわに書いて、保管場所や枚数を管理していたようです。

◆失われゆくモノと記憶、守ります!
江戸時代や明治、昭和といった近現代の「古い」ものも民俗資料として保存しています。これは酒屋で貸し出していた徳利(とっくり)で、「貧乏徳利」「通い徳利」とも呼ばれます。昔は、量り売りでお酒を販売し、徳利には酒屋の店名や電話番号、お酒の銘柄が書かれることもありました。この徳利には「安徳村梶原第九号□野商店」と書かれているようですが、お店の場所はよくわかっていません。
(徳利・江戸時代から昭和初期ごろ・安徳村梶原・高さ27.4cm)
文化財課では、徳利を民俗資料として特に収集しています。
家に眠っている古い徳利をお持ちの人、安徳村梶原にあった酒屋をご存知の人、連絡お待ちしております!

◆広報担当 mameの特集
◇編集後記
私は今回の特集をつくるまでは、文化財は芸術品という認識でした。しかし文化財担当のYさんと話していくうちに、文化財は人々の生活や文化の語り手であるということに気づきました。那珂川市にはほかにもたくさんの文化財があります。文化財の中にはあなたと同じ感性の持ち主がつくったものもあるかもしれません。ぜひ文化財展示室に行ってみてください。遺物があなたに語りかけてくれますよ!

問い合わせ:文化財課 保護担当(中央公民館内)
【電話】952-2092
※文化財展示室(中央公民館内)は平日午前9時から午後5時まで見学できます。