文化 ふるさと再発見 広川町郷土史研究会

■広川町にある巨樹・珍樹 その16
○クス(クスノキ科)
町内の神社を一巡すると、境内に聳(そび)える樹木で一番多く目につくのがクスです。漢字は「楠(くす)」や「樟(くす)」が当てられます。樹齢300年に達していると思われるのもが、少なくありません。植栽年代がはっきりしている樹木と比べると、200年でも150年でも100年でも、ほとんど見分けはつきませんが、志賀海神社(扇島区)境内に聳(そび)える木が群を抜いています。
樹高 約25メートル
幹周 6.15メートル
を測ります。
志賀海神社の創建年代については、『広川町史』資料編をご参照ください。
どうやら延宝4年(1676年)に、現在地に神殿や樓(ろう)門などが造営されたようで、そうするとおおむね369年となります。それを勘案しても、樹齢は350年を下らないと推定できます。
「稲富廣助調書」には、元神官職にあった森家の記録が収録されています。それによると、「神官の森氏と有志の野中氏が協力して勧請(かんじょう)したもので、創祠(そうし)は寛永元年(1624年)であり、延宝4年(1676年)、今の場所を境内に定め、社殿を造営した」とあります。
このことを、樹齢350年は経っていると推定する論拠として示しています。
さて、平成3年(1991年)9月27日に襲来した台風19号が、大きな被害を及ぼしたことを思い出してください。八女丘陵上でも大木がバタバタと倒れ、折損(せっそん)する被害も出ました。
当該木も一ノ枝が折れて落下し、旧公民館にも被害が及びました。その際には枝打ちがされて、枝張りが小さくなっていましたが、現在は回復して再び旺盛な樹勢を誇っています。ちなみに写真は枝打ち後の姿です。

■広川町古墳資料館だより
来年の干支は「午(うま)」です。もともと馬は日本におらず、弥生時代の終わりに朝鮮半島から渡来したといわれています。
広川町の6世紀後半ごろの古墳からは、鉄製で金や銀で飾られた馬具が出土しています。なかでも鬼塚2号墳の馬具は豪華で、八女丘陵北側の有力者であることが想像できます。