- 発行日 :
- 自治体名 : 佐賀県鳥栖市
- 広報紙名 : 市報とす 令和7年9月号
当時の鳥栖は鉄道輸送の要地で、さらに駅周辺には多くの軍需関連施設が立地していたことから、昭和20年4月の初空襲以降、米軍機が頻繁に飛来します。なかでも8月11日の『鳥栖空襲』と呼ばれる空襲は、鉄道施設や軍施設を狙った空襲とされ、500ポンド爆弾と呼ばれる強力な爆弾が使用されました。しかし、その多くが目標から外れ集落内で炸裂したことから、多くの民間人も犠牲になりました。死者数119人、民家の全壊36戸、被災者は3200人とされていますが、被害状況は戦後の混乱などにより明らかではありません。そのわずか4日後の8月15日、戦争は終わりました。
令和になった今日でも爆弾が落ちた穴や機銃弾痕が見られ、戦争の爪跡は市内各所に残っています。