- 発行日 :
- 自治体名 : 熊本県宇城市
- 広報紙名 : 広報うき ウキカラ 令和7年7月号
私たちが暮らす宇城市の郷土にまつわるさまざまな文化の魅力を発信します
■解説!蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)ーこれであなたも元寇(げんこう)博士!(2)ー
竹崎季長(すえなが)は、鎌倉幕府の呼びかけに応え、肥後国(ひごのくに)(現在の熊本県)から文永(ぶんえい)の役(えき)、弘安(こうあん)の役(えき)に参戦した武士の一人です。元寇以前に現在の松橋町竹崎にいたとされています。
幕府の呼びかけを受けた時、季長は家督(かとく)争いに敗れ無足(むそく)(領地がなく収入がない状態)の身でした。戦いで手柄を上げ個人として恩賞の領地を得られなければ、武士として生きていく当てがないと、命を懸けてでも手柄を上げることを目的に、29歳の時に自身含め5人の少ない軍勢で文永の役に参加しました。
蒙古襲来絵詞の〈絵1〉には、文永の役の舞台である博多に季長一行が到着した場面が描かれています。
季長一行が到着したのは筥はこざき崎(現在の福岡市東区箱崎)で、季長の軍勢とともに筥崎宮の鳥居が描かれています。同じく筥崎に参集した武士の軍勢とともに、松林の中を進軍している様子が描かれます。
季長の軍勢として、先頭には旗指(はたさし)(軍勢の紋が入った旗を持つ役割)の三郎二郎資安(さぶろうじろうすけやす)、続いて季長の姉婿(むこ)である三井資長(みいすけなが)、その後ろに季長、従者の藤源太資光(とうげんたすけみつ)、名不詳の従者が続き進軍しています。
◆収蔵資料整理のため臨時休館します
7月22日(火)~8月7日(木)
◆郷土資料館《入館料無料》
開館時間:10時~17時
休館日:月・木曜(祝日の場合はその翌日)
住所:豊野町糸石3818
【電話】45-2102
問合せ:文化スポーツ課
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