- 発行日 :
- 自治体名 : 大分県日田市
- 広報紙名 : 広報ひた 令和7年6月号
「咸宜園教育研究センター・世界遺産推進室」では、咸宜園や廣瀬淡窓、門下生等に関する調査研究を行っています。研究成果は、関連資料の展示や研究紀要を刊行するなどして公開しています。また、「近世日本の教育遺産群」の世界文化遺産登録に向けて取り組んでおり、各種公開講座を実施しています。
■廣瀬淡窓が見た祇園祭
現代の祇園祭は7月に催行されることが多いですが、淡窓の生きた江戸時代では旧暦6月15日に祭礼が行われていました。幼少時の淡窓は、豆田町の廣瀬家を離れて伯父の月化(げっか)が建てた別宅「秋風庵(しゅうふうあん)」(現在の咸宜園跡)で伯父夫婦と暮らしていました。祇園祭の際、豆田町を巡行する高い山車(だし)(山鉾)と、祇園囃子の笛や太鼓の音に驚いて急いで秋風庵に帰ったという逸話があります。当時の淡窓は静かな環境を好む、繊細な性格であったことが分かります。
また、18歳のとき現在の福岡市姪浜で亀井南冥(なんめい)・昭陽父子に学んでいた淡窓は、博多の櫛田神社に祇園祭を見に行きました。ところが到着が遅れたため祭礼は終わっており、近くのお店で待っていると、やがて6台の山車が巡行する様子を見ることができました。その光景を「疾風の如し、頗(すこぶ)る壮観なり」と記し、日田の山車と比べて曳き手の数が多いため、巡行速度が異なると述べています。
■咸宜園を世界遺産に!
▽咸宜園教育研究センター・世界遺産推進室(入館無料)
淡窓2丁目2番18号
【電話】22-0268
開館時間:午前9時~午後5時 水曜日休館
▽史跡咸宜園跡
受付時間:午前10時~午後4時