- 発行日 :
- 自治体名 : 宮崎県日向市
- 広報紙名 : 広報ひゅうが 令和7年12月号 No.847
耳川は椎葉村・諸塚村・美郷町・日向市を流れる二級河川です。旧石器時代の後期には耳川の流域に人が暮らしていたと考えられています。長い歴史の中で神武天皇お船出の伝説が伝えられ、大友・島津の耳川合戦や西南戦争が繰り広げられたりと、日向市の歴史を知るうえでとても重要な河川です。耳川は日向に限らず流域に暮らす人々の生活にも密接に関わりがあり、美々津渡し場高瀬舟終着場之跡記念碑が美々津の立磐神社前の公園に建てられています。
明治8(1875)年、宮崎県は大分・鹿児島間を一等道路、その他を二等道路と定めましたが、支線は里道や自然道と大差なく、江戸時代と同じようなものであったと言われています。道路が整備され、荷馬車が登場するまでの県内運輸は、主に河川を利用した、船、イカダ流しなどでした。渡し場は最も奥地の西郷村の「椎原渡し」から、河口港の「美々津渡し」まで、主な渡し場が8箇所ありました。耳川流域の人々は、これらを利用し、高瀬舟と呼ばれる全長約15m、最大幅約2mの船で、木炭やしいたけ、樫木、楮(こうぞ)などを美々津に運びました。木材は「流し」と呼ばれる、木を一本一本川に流す方法や、「筏(いかだ)流し」と呼ばれる、筏に組んだ木材を流す方法がありました。これらの方法で運ばれた物資は美々津港を通して上方(現在の大阪・京都)に運ばれました。美々津は貿易の拠点として美々津千軒と称されるほどに栄えました。明治4(1871)年に美々津県庁が設置されてからは渡し守と呼ばれる船頭が県職員として運航に当たったようです。賑わいを見せた渡し場終着点の美々津渡し場は大正12(1923)年の日豊本線の開通、ダムの建設の影響でその役割の多くを細島港に移すことになりました。
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