くらし (歴史探訪)市内最大の五輪塔 曽我の森

皆さんが、日ごろ道ばたなどで見かける石塔には、板碑(いたび)、庚申塔(こうしんとう)など、様々な種類の物がありますが、今回は五輪塔について紹介します。
五輪塔とは仏塔の一種で、日本に広まったのは平安時代以降です。鎌倉時代以降は供養塔としての意味合いを持つようになります。仏教で宇宙の5大要素とされる「空・風・火・水・地」を象徴し、上から空輪(宝珠)、風輪(半月)、火輪(笠・屋根)、水輪(円形)、地輪(方形)の5つのパーツで構成されます。多くは四方に梵字(ぼんじ)が刻まれています。
日知屋地区には日知屋城址(じょうし)に10基を超える五輪塔があり、ご覧になった人も多いと思います。同じく日知屋の江良地区には、日向市域最大の五輪塔があります。高さ1.5メートルを超える2基の五輪塔で、地元では曽我の森(森と呼ばれていますが、現在は伐採されています。)、ソガサンさまと呼ばれています。
梵字が刻まれていないため現時点で詳しいことは分かっていませんが、地元に伝わる一説を紹介します。
鎌倉時代、伊豆にあった領地をめぐり、工藤祐経(すけつね)と曽我兄弟の祖父である伊東祐親(すけちか)の間で争いが起こります。この争いの中で曽我兄弟の父・伊東祐泰(すけやす)が殺害されます。子であった曽我十郎祐成(すけなり)・五郎時致(ときむね)兄弟は源頼朝が富士山麓で行った「富士の巻狩り」(狩りを兼ねた軍事演習)において、父の仇討ちを果たしました。五輪塔が二基であること、伊東氏との関連性から、地元では曽我の森は曽我兄弟を供養するものと伝えられているようです。
曽我兄弟の仇討ちは、伊東氏が日向に来る前の話であり、根拠が不明確な部分もありますが、日知屋城址で死去した伊東祐邑(すけむら)を曽我祐邑と呼ぶ人もいたことから、祐邑に関連のある供養塔かもしれません。

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