くらし 2026年新春対談(1)

今年の4月に本市初の義務教育学校である「桜島学校」が開校します。同校の校歌制作にご協力いただいたお二人と、下鶴市長が対談しました。

■桜島学校の校歌制作への思い
市長:このたびは、鹿児島出身のお二人に、この春開校する「桜島学校」の校歌制作をお引き受けいただき誠にありがとうございます。先ほど、一足先に制作中の校歌を聴かせていただきましたが、桜島の学校の情景やそこに通う子どもたちの様子が目に浮かび、また、ふるさと鹿児島に帰りたくなる気持ちも呼び起こされるような素晴らしい楽曲ですね。まずは、この校歌をお二人がどのように制作されたのかお聞かせいただけますか。

吉俣さん:本当は最初に、萌音さんと打ち合わせをしてから曲作りに入ろうと思っていたのですが、その前に鹿児島に帰って、桜島に3回ほど通っているうちに曲のイメージがどんどん湧いてきて、打ち合わせの前には曲が出来上がっていました。

市長:作曲するにあたって、やはりじかに桜島を見たいと思われたのですね。

吉俣さん:湯之平展望所から夕日で赤く染まる桜島を見たいと思って、展望所にも2日間通いました。結局、赤くはならなかったのですが、ゆっくりと日が暮れて、真っ暗になっていく様子を眺めたりして。どの曲を作るときにも、その前に自分ができる限りのことにチャレンジしようと決めていて、これだけやったのだから絶対に皆さんが喜んでくれる良い曲ができる!と常に思っていますね。

市長:上白石さんは、吉俣さんが作られた曲を聴かれてから、どのように校歌の作詞を進められたのでしょうか。

上白石さん:実は私も、吉俣さんから曲を聴かせていただく前に、桜島を実際に訪れたんです。桜島で暮らす子どもたちが、どのような景色を見て育っているのかを知りたくて。訪れてみてまず思ったのは、桜島に来ると、私が見て育った完全な山の形をしたシンボル“桜島”としてではなく、そこに活火山が存在して、共に生きているんだっていうことでした。そこから、桜島という言葉は使わずに、桜島を表現したいという思いに至ったんです。

吉俣さん:桜島にある各学校の校歌には「桜島」という言葉はあまり出てこない。初めて萌音さんが作った歌詞を見たときに、よく桜島を連想する言葉が思いついたなーって感じました。

市長:歌詞を書くために、他にもいろいろと調べられたのではないですか。

上白石さん:はい、この春に統合される8つの全ての学校の校歌や、校章を資料として提供いただいたり、桜島の子どもたちに、入れてほしい言葉などを聞くためのアンケートに協力いただいたりもしました。そこからは、吉俣さんの曲のメロディーに導かれるように、作詞を進めました。

市長:すごい、そこまでしていただいたのですね。お二人が、桜島にどっぷり漬かりながら校歌を制作していただいたことがよく分かり、本当にありがたいです。

■桜島に勇気をもらいながら
市長:鹿児島で育ったお二人には、桜島にまつわる思い出もあると思いますが、いかがですか。

上白石さん:学生の頃に、学校から桜島がきれいに見えていたので、自然と、今日は噴火しているかな?教室の窓は開けられるかな?と思いながら眺めていましたね。習い事の友人で、桜島から通っている人や、お父さんがフェリーの操縦をされている人もいて、身近に感じる存在でした。
お仕事を始めて間もない頃に、桜島を目の前にするロケーションで取材を受ける機会があり、そのときには、桜島から「頑張れよ!」って言われてる気がしたんです。あのときに見た景色と、感じた思いは今も忘れてはいけないと思っています。

吉俣さん:実家が旅館をしていて、その2階の部屋から桜島を眺めるのが日常でした。その頃も今も、桜島のことが大好きで、だからこそ、鹿児島の曲作りを頼まれたら、まずは目の前で桜島を見てからスタートするって決めています。
大河ドラマの篤姫の曲を手掛けたときに、3週間は曲を作らずに桜島を眺めて過ごしたのですが、そのときに一度だけ、桜島から風ではなく「気」のようなものが吹いてきたような感覚がありました。萌音さんと同じで、桜島から「キバレよ!」と言われた気がしましたね。

市長:ふるさとのシンボルである桜島の存在は、第一線で活躍されるお二人の活動の支えにもなっているのですね。

吉俣さん:私を含め、鹿児島の人って桜島を見ると帰ってきたなーって思うじゃないですか。先日、県外出身の知人から、そういうシンボルがあるって本当にうらやましいって言われたんですよね。当たり前すぎて地元にいると気付きにくいですけど。

市長:私も東京で生活していたときには特に、飛行機の中から桜島を見つけては、鹿児島に帰ってきたんだなーと、ほっとした気持ちになっていました。鹿児島にいても、いなくても心の中にずっとあるんですよね。

上白石さん:空港に着くと、自然と桜島のパネルに目が行ってしまったりもしますし。改めて、鹿児島の人にとって特別な存在である桜島の、学校の校歌制作に携わることができたことを大変光栄に思います。

((2)へ続く)