文化 「天正八年」銘をもつ本土最古級の石橋を発見!

伊集院中学校内に、雪窓院(せっそういん)に架けられた石橋を用いたと伝わる「伊集院中学校」「美(うるわ)しき魂」の文字をもつ学校碑があります。雪窓院とは、島津義久・義弘・歳久の母とされ、天文13年(1544)に没した雪窓妙安を弔うため、永禄10年(1567)に長男義久らが建立した菩提寺と伝わります。
昭和4年(1929)の鹿児島県の記録にある、雪窓院本堂の前の溝川に架かっていたとされる「天正八年宗的寄進」の八字を刻す「古風の石橋」があったという記述をヒントに、日置市教育委員会は調査を開始しました。

3月8日、教育委員会主導のもと、有志の生徒14人とともに学校碑のある花壇の発掘調査を実施。「宗的寄進」「天正八年庚辰三月吉日」の刻銘を新たに確認しました。
鹿児島国際大学の中園聡教授と本市教育委員会の下小牧主査が、学校碑の三次元計測を行い検討を重ねた結果、石のすり減りや使用した際についたとみられる「キズ」などからみて、石橋としての機能をもっていたことが明らかになりました。
調査に参加した伊集院中学校3年生の堀之内彩衣さんは「私たちがいつも通っている中学校で、貴重な体験ができた。こんなにすごいものが身近にあって驚いた」と話します。4月12日(土)には現地見学会も行われ、約120人が訪れました。

「天正八年庚辰」は、西暦で1580年となります。早くから大陸の影響を受けた琉球には、現存するものでは国内最古の「天女橋」(1502)のほか、古い石橋が残されています。一方で本土には、長崎の「眼鏡橋」(1634)をはじめとして、九州・山口を中心に大陸の影響を受けて石橋の技術が広がっていったとされます。永禄4年(1561)の年号が確認されている山梨県甲斐市の「旧竜王河原石橋」の石材のように、長崎の眼鏡橋よりも古い石橋はごくわずかに存在するようですが、これ以外に、天正八年より前に作られたことが分かる石橋は確認されません。今回発見の、「天正八年」銘の石橋は、長崎の眼鏡橋から広がるという通説に当てはまらない、異例の発見・成果といえます。全国の石橋とも比較した結果「最古級」の石橋と判明しました。
東アジアの考古学に詳しい西谷正氏(九州大学名誉教授;考古学者)は、「本土において、戦国時代から江戸時代の石橋の広がりを検討するうえで、ひとつの基準となる、極めて重要な資料」と評価します。
学校碑となった昭和43年よりも前には、当時の伊集院町公民館(城山トンネル近く)の庭先に置かれていたようです。そこで、皆さまにお願いです。昭和43年よりも古い、公民館の写真をお持ちの方がいらっしゃいましたら、社会教育課までご一報ください。お待ちしております。

お問い合わせ先:日置市教育委員会社会教育課
【電話】099-248-9432