くらし 知名町誌 編さんだより 第5号

■町の自然や歴史を本にまとめる活動「知名町誌編さん事業」の最新情報をお届けします。

◆事業の経過(令和7年6月~10月)
・行政部会執筆者説明会 6月24日
・第2回考古部会 6月11日
・第3回自然部会 9月27日
・第2回集落・民俗部会 10月3日
・第3回中世・近世・近現代部会 10月8日
・第3回知名町誌編さん委員会 10月20日

▼考古部会
7月に遺跡の現地確認や遺跡出土品の調査を実施しました。これまでの発掘調査成果や新しい資料をもとに島の歴史や古代の人々の生活の様子をまとめていきます。

◇貴重な近世史料の発見
新しい『知名町誌』編さんのための調査で、明治時代初期の藩による孝行者表彰の様子を詳細に記録した貴重な史料が発見されました。
この史料については、これまでも『知名町誌』や沖野松秀氏が『ニシミの話』(高野東風盛編)の中でその一部を紹介していましたが、その全容は明らかになっていませんでした。
今回、史料を所蔵する西山家の協力を得て、内容を詳しく調査することができました。
史料は、以下の4件10点(解読文含めると11点)から成ります。
(1)明治4年の藩による褒賞関係文書2点(巻物に表装)
(2)「孝行米」と書かれた木札1点
(3)琉球士族の家譜1点
(4)明治初期の地方官に関する木簡6点
藩の褒賞文書(写真1)によると、孝行者として高く評価された上城村の清田嶋川(名字は明治8年以降)は幼少から病気の父の世話をしながら、村の公用も真面目に務めたことが評価され、明治4年に薩摩藩の殿様島津忠義公から米3石(約450kg)の褒賞と夫役(公的労働)免除の特典が与えられました。この褒賞米は、鹿児島から特別に運ばれた上質な白米で、「孝行米」と書かれた木札(写真2)が添えられていたと考えられます。
嶋川は、この「孝行米」15俵を雄牛15頭に乗せ、「孝行米」の旗を掲げて沖永良部島の在番所(藩の出張所・和泊)からの帰り道、沿道の村人に見送られながら栄誉ある帰宅を果たしたと言い伝えられています。
さらに、藩の褒賞とは別に、在番所からも嶋川に対する褒賞が行われていました。この文書には、嶋川の生い立ちや苦労、善行が詳しく記されていました。
嶋川の父・董山は、かつて琉球(沖縄)から沖永良部島に移住してきた人物でした。董山一家は困窮していたため、嶋川は19歳の時に自ら奉公をし、米7石5斗を得て、家業を立て直すことができました。その後、弟の牛松も同じように奉公をして、家族を支えていきました。両者とも真面目な働き者だったため、村内に家や田畑を購入し、かつ借米も返済し、公用も真面目に務め、キビ畑の手入れも熱心に行うなどの働きぶりと善行が村中の称賛を受けました。
当時、琉球との間の渡航は、公用や商売以外は厳しく制限されていましたが、董山は移住者として島に受け入れられていたことがわかります。これは、琉球との往来が頻繁にあり、移住者も珍しくなかったことを示しています。
この史料は、藩による孝行者表彰の実態や当時の沖永良部島の人々の生活の様子を伝える大変貴重な史料です。
(執筆:伊地知裕仁 町誌編さん室要約)

◇集落調査を行っています
各集落調査員と編さん室が協力して昔の集落の様子や出来事・場所を調査しています。あなたが知っている昔の集落の様子を語りませんか?

◆まだまだ募集しています!
※本や冊子のようにまとまった形の物でなくても構いません。ご家族との団らん、子供の遊び、字の集会や祭り等の思い出の写真や手記なども歓迎します。
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