- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道森町
- 広報紙名 : 広報もりまち No.244 令和7年7月1日号
■内浦湾の防衛拠点
森町には縄文時代のストーンサークルがある鷲ノ木遺跡のほかに、国指定史跡がもう一つあります。砂原に所在する「東蝦夷地南部藩陣屋跡砂原陣屋跡」です。当時の海外情勢と海防の状況を示す重要な遺跡として室蘭市の「モロラン陣屋跡」と長万部町の「ヲシャマンベ陣屋跡」とともに「東蝦夷地南部藩陣屋跡」として国の史跡に指定されています。
江戸時代の終わりころは、欧米諸国がそれぞれの版図拡大を狙っていた時期でもあり、船団を率いて世界各地に進出していました。当時の幕府は限られた国とのみ貿易を行っていましたが、アメリカのペリー提督による「黒船来航」に代表されるような、開国を求める強い圧力もあったことから、欧米諸国の接近を強く警戒していました。
そのような情勢の中で、北海道にはロシア船の接近が頻発していたため、幕府は警戒を強め、東北諸藩に警備を命じます。
東蝦夷地の一部を管轄した南部藩は、内浦湾を室蘭・砂原・長万部の三つの陣屋で警備する体制をとりました。室蘭と砂原で挟撃し、長万部はその援護を行う体制だったようです。安政3年(1856年)に砂原陣屋が築かれてから兵士が30人ほど常に駐屯していましたが、慶応3年(1868年)には戊辰戦争の対応のために撤収しており、箱館戦争が始まるころには人がいなかったと言われています。
現在は建物もなく高さ2mほどの土塁を残すのみですが、森町教育委員会で実施した発掘調査により、土塁の周囲をめぐる堀の跡や当時の人々が使っていた磁器が出土しています。
出土品は森町遺跡発掘調査事務所で展示しており、現地も自由に見学できますので、欧米諸国との関係に揺れ動いていた時代の息吹を感じてみてください。