しごと 躍動する羽根(1)
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- 発行日 :
- 自治体名 : 北海道鷹栖町
- 広報紙名 : 広報たかす 令和7年8月号
躍動とは「いきいき活動すること」、羽根は「町民一人一人」を表現しています。
「羽根が集まれば大きな翼となり、立派な鷹として大空へ羽ばたく」
翼は「町民」、鷹は「鷹栖町」、町民の皆さんの活躍が大きな力となり、大空を飛ぶ鷹のように、鷹栖町の魅力が広く伝わってほしい、という思いが込められています。
■山﨑凱斗(かいと)さん
今回は、ドイツ中南部の都市シュパイアーにある日本食の店「日の出」で寿司職人として働く、鷹栖町出身の山﨑凱斗さんをご紹介します。
山﨑さんは、小学生の時にクロスカントリースキー、中学生から高校生は陸上に打ち込むスポーツ一本の学生生活を送ってきました。部活を引退してから卒業後のことを考えるようになりましたが、当時、特にやりたいことも無かったので、困っていたそうです。
ある日、ふと本屋に寄り「人生の地図」という本が目に留まります。「この時のことを上手く説明できないのですが、この本を読んで『人の生き方』について興味を持ち、そこから『世界では色々な生き方をしている日本人がいる』ということに興味を持ち始めました。そして私は、それぞれの生き方を映像で伝えてみたいと思いました」と山﨑さんは話します。
こうして、まずは海外に行くことを考えるようになった山﨑さんでしたが「ただ行くのでは意味がない。自分の武器となるものを持ってから行こう」と思い、紙に自分自身について書き出しました。そこで注意を引いたのが自分が日本人であること。「日本人だからこそ影響力のあるものはないか。日本といえば、そうだ、寿司だ!寿司職人として海外に行ってみよう」と思い付き、行動に移しました。
東京の築地にある寿司屋の求人を見つけ、迷うことなく応募し面接を受けた山﨑さん。本人も驚いたそうですが面接官に「寿司屋で働いてそうな顔をしているね。合格。」と言われ採用が決まったそうです。
そして高校卒業後、リュック1つで上京し、寿司職人としての修行の日々が始まりました。
一般的に魚を捌くまでに5年、寿司を握れるようになるまでに10年が必要と言われているようですが、山﨑さんは「そんなに時間をかけていられない。3年でカウンターに立ち、お客さんに寿司を出せるまでになる」と目標を決めました。
しかし、これはかなり過酷な道のりでした。10年を3年にするだけでも大変なことですが、何を隠そうスポーツ一本の生活をしてきた山﨑さんは、包丁を握ったことも米を研いだことすらなかったのです。しかも同期で入った7名は調理師専門学校を卒業していて、スタートから出遅れている状況でした。
ですが、この状況をピンチとは思わなかった山﨑さん。それは、クロスカントリースキーの監督、前川先生の教えである「何事もやると決めたことは全力で取り組む」ということを大切にしてきたからだと言います。自主的に早く出勤し、できることは何でもやり、時間がある時は先輩の技術を目で盗み、覚えようとしました。体力には自信があった山﨑さんは、睡眠時間を削り必死に食らいつきました。
熱意が伝わったのか、会社の中で期待されるようになり、店舗の中でも売上1位の店に配属されることが決まりました。周りは皿洗いをしている中、山﨑さんは入社1年目で魚の捌き方を教えてもらうようになります。
順調に進んでいるように思えましたが、ここで問題が発生。自分でも気付かぬほど無理をしていた山﨑さんの体に異変が出るようになったのです。記憶が曖昧となり、皮膚は変色し、ひどい時は、なぜ寿司屋にいるのか分からなくなることもあったそうです。そんなとき、部屋の壁に貼っていた紙に目をやりました。そこには目標やこれからの「生き方」について書かれており「このままではダメだ。自分自身を見失ってはいけない。もう少し頑張るんだ」と自身に言い聞かせ、気持ちを切り替えることができたそうです。
そして、苦難を乗り越えた山﨑さんは、有言実行。入社して3年でカウンターに立ち、寿司を握れるまでに成長しました。目標を達成したので退職届を出そうとしましたが、会社からの期待がすごかった分、なかなか受け入れてはくれませんでした。ですが、最後は目標のため背中を押してくれたそうです。