くらし 協力隊通信

■天塩町と樺太の関係
町民の皆様こんにちは。4月から地域おこし協力隊(学芸員)として活動している前川康生(まえかわ こうせい)と申します。今回の協力隊通信では樺太と天塩町の関係性について書いてみます。私は、大学生の時の卒業研究で樺太史における戦争史をテーマにしていました。天塩町の地域おこし協力隊として活動する中で、町と樺太に関係性のある情報を調べていました。その中で2点お伝えしたいことがあります。
一つ目は町民の方に祖父母が、樺太出身者だという方が多くいらっしゃることを伺いました。調べたところ、天塩町は終戦後、樺太からの引揚先のうちの一つだったと知りました。とある史料では、更岸地区に複数の引揚者が住み始めたとの記述を見つけました。また、天塩町は、サハリン州南西部のトマリ市(旧泊居町)と友好交流協定を1992(平成4)年に締結していること等も興味深いと感じております。今後の活動の中で、是非とも天塩町内において、樺太に関する情報を集めて、特別展示や寄稿などの方法を通じて町民の皆様にお伝えできればと考えています。
二つ目に、三船殉難事件について皆様はご存じでしょうか。第二次世界大戦末期の1945年8月、樺太へのソ連侵攻が始まり、大泊港から小樽に向けて出港した疎開船が3艘、留萌沖でソ連の潜水艦の攻撃を受けて、約1700名以上の命が奪われた事件です。陸地に近い距離に沿って南下をしていたので、もしかしたら攻撃される前の船を見たことがある町民がいたのではないかと思っています。三船殉難事件の情報もこの天塩町で何か見つけられたらと思っています。
もっと天塩町について知りたくなる日々です。これからも一生懸命に活動を頑張っていきます。